レポート第5回 回答集

熊本大学・遺伝子実験施設
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2002年 3月19日

平成13年度 生命科学G レポ−ト 第5回(2001年11月14日実施) 回答集

[ 質問 ]

あなたは、遺伝子組換え食品の開発・研究に賛成ですか? 反対ですか? その理由も書いて下さい。 また、今日行ったディベートについて感想を書いて下さい。

[ 回答 ](19人)

<賛成> (9人)


・ディベートを通じて、賛成することの難しさ、コンセンサスを得ることの困難さを感じた。反対するにはある一点のみでも否定すればそれが反対意見となり得る。しかし、賛成にはすべてを肯定しなければならないという制約がある。例えば、賛成を「白」とするならば、賛成は、「真っ白」でなければならない。そこに、「黒い点」がつく以上、それは賛成ではあり得ない。もちろん、条件付き賛成ということも考えられるし、私もその立場である。ただ、反対することは簡単で、頭ごなしに否定することは、科学技術の持つ可能性そのものをも否定することにつながるのではないかと感じたのである。
 確かに、人間が己の欲望を満足させるために科学技術を発達させ、その結果、負の遺産をもたらしたことも、紛れもない事実である。「効率主義」一辺倒の現代社会は当然批判されるべきであるし、変えていかなければならないと思う。しかし、現実問題として、飢餓の問題は我々の前に立ちはだかっている。先進各国が飽食を止めればいいという意見も当然であり、正論であると思う。しかし、現代社会に浸透した支配と被支配の二元論の存在ゆえに、個人の努力でどうにかなると言う問題ではないと感じる。それこそ社会通念を変革する以外に方法はないのではないだろうか。悲観的な考え方ではあるが、食料自体を増やすこと以外にこの問題を解決する方法が見当たらない。それ故に、遺伝子組換え技術によって品種改良を行う必要があると思う。つまり、遺伝子組換え技術は世界が抱える大問題を解決し得る可能性を秘めていると言えるのではないだろうか。そして、その可能性に賭けてみることは、決して無意味なものではないと思う。ただ、安全性についての研究、議論は慎重に行われるべきであると思う。(教育学部)

・以前の通り、僕は遺伝子組換食品の開発研究に賛成だ。なぜならその研究がもたらしうる可能性は人類にとってかけがえの無い物となるだろうからだ。ディベートでも話題になったが、この研究が環境や人体に害を及ぼす可能性を指摘で切るかもしれない。一面では遺伝子技術は限りなく恐ろしい危険性おも含んでいることは否定できない。そうした意味で開発はすべきでないのかもしれない。
 だが、考えてもらいたい。現在兵器として利用されている核技術も、原子力発電の技術に応用されている。逆にダイナマイトは開発者ノーベルの意志に反して、目的次第では悪用することも可能になってしまった。そうした意味では科学技術の研究には潜在的な善も悪もなく、ただいかに使うかによってあらゆる研究技術は悪用可能であるといえるだろう。
 さらに、この議論で反対の立場を取るということは開発、研究を否定していることと言い換えられるが、今回のディベートを聞く限りでは開発、研究を全面的に否定する意見はなく反対をする人の意見は安全性に留意する前提で開発をすべきだという具合に自分には思えた。安全性に留意するという前提はこの場合当然であって、そういった前提の下では遺伝子組換食品の研究、開発に反対する人はいないのではないかと思う。
 そこで一つの結論を出す。遺伝子組換技術の開発研究は社会にとって最も有益な方向で進められるべきだ。そうすることは直接的には人類の食糧問題などを解決してくれるだろうし、間接的には遺伝子技術を悪用されたときに同様の技術で解決しうる実力を養うためにもなる。
 現実問題として、遺伝子組換食品の研究は今後進められるだろう。これには賛成も反対もない、予定され、かつ極めて確実な事実だ。一度開発されてしまった技術が人為的に消えることはありえない。ならば、故意に見えない振りをして、その研究を否定するよりも、むしろ積極的に活用して、悪用されないように監視し、そうやって社会に取り込んでいく方が良いではないか。そう思うゆえに自分は賛成の立場を取るのである。(文学部)

・私は、今回のディベートは反対側へ座っていました。しかし、このディベートは、遺伝子組換食品の開発、研究に対して賛成か反対ということが本題ということでわたしは少し勘違いをしていました。私は遺伝子組換食品が市場に出回ることにたいして反対意見を持っていました。でも先生の話を聞いていると開発、研究には反対できないように感じを受けました。開発、研究は自由だと思います。しかしこれが市場に出回るとなると、賛成は出来ません。安全だと100%言い切れるまで市場には出さないでほしいです。100%安全と言い切れるのならば、この研究はすばらしいものになるのではないでしょうか。(教育学部)

・私は1回目に提出した際には、どちらとも言えないと答えました。なぜなら、いい面も悪い面も持ち合わせており、まだ私自身が遺伝子組み替え食品に対してあまり詳しく知らなかったということもあります。しかし授業を何回か受けて今回答するなら…私は遺伝子組み替え食品の開発・研究には賛成です。ただし、商品化に対しては反対です。これからより長く地球を生命溢れる惑星として保つためには、地球本来だけの力では不可能だと思います。それが自然の定めだから人工的に手を加えるべきではないと言う意見も一理あると思います。しかし、我々人類に到るまでの進化や変異はすばらしいものであり、そのことはかけがえのないことだと思います。そのために食品だけではなく、幅広い分野で遺伝子組み替えの研究・開発は必要だと思います。食品として口にする場合は、やっぱり自然には存在しないものですからすぐには反応がでないとしても、それが蓄積することによりなんらかの支障をきたすと思います。それは、研究・開発の段階でいくら検査をしたとしても生命は一様の遺伝子や形態をしているわけではないため十分とはいえないと思います。しかし、遺伝子組み替えにより不治の病や不可能と思われていたことが可能になる可能性もあるのでその手段を断ち切ることは出来ないと思います。(理学部)

・僕は賛成派だが、反対派の人たちの意見ももっともだと感じた。しかし、それでも、その実験・研究のもたらすプラスの効果を考えると今の時点では賛成したい。(工学部)

・私は賛成である。第1回目のときもそう答えたが、やはり変わりはない。はじめは、遺伝子組換え食品についてはあまり知らなかったので、深くはいえなかったが、ディベートをとおして思ったのは、反対の立場の人は楽だということだ。それはなぜかというと、危険だとか、いらないとか、なにか一点について反対すればいいのだからである。賛成の立場はそれすべてに対して考えなければならない。そういったことを考えていたのだが、それでも賛成だと思うのは、必要であると思うからである。そのために研究されているのであるから、反対とはいえない。(教育学部)

・とりあえず、大概の人がそれぞれに、遺伝子組み替え食品の市場流通に対して、何らかの危機感を持っていることがわかった。ディベートは確かに賛成・反対に分かれて、意見を戦わせるものだが、基本路線としてその部分での一致に少し安心した。
 私は前回と同様に遺伝子組み替え食品の研究には賛成である。まだ起こっていないことに対して考慮したり、用心することはもちろん必要だが、石橋を叩いてばかりでいつまでたっても渡らない等ということは、何の発展も産み出さないのではないだろうか。(薬学部)

・私はディベートでみんなが言っていたように、遺伝子組み替え食品の開発・研究をすることには賛成である。しかし、研究も道半ばで人体にどんな影響があるかわからないのに、そういった食品を安全だといって提供することには反対である。消費者も、本当に安全なのだろうか?という思いがあるから、遺伝子組み替えの商品をさけているんだと思う。だから遺伝子組み替え食品が、完全に安全だといえるようになるまで、もっと確実な研究を続けていくべきだ。(教育学部)

・自分は遺伝子組換食品の研究を進めることに賛成する。それが長い目で見て人類にとってプラスとなると思えるからだ。遺伝子操作によって、たとえば乾燥地や寒冷地などでも生育する植物を生み出すことができるなら、食糧問題や環境問題の解決につながるだろう。それが自然の摂理に反していることだとしても、人類に有益であるならば充分に有意義な事業だと思う。
 ただしその研究は長い時間をかけて慎重に行なってほしい。一部の企業のように、目先の利益のために安全性を保証できないような食品をすぐに売り出すのは賢明な態度とは思えない。そのせいで消費者の心象も悪くなっているのだから、自分たちの首をしめているようなものではないだろうか。遺伝子組換食品を作り出すこと自体は賛成だが、食品業界などの思惑が絡まないような形で研究を進めるのが理想だと思う。最終的に遺伝子組換食品の欠陥が明らかになり実用化は難しいという結論になっても、それはそれで無駄ではないと思いたい。(理学部)

<反対> (7人)

・最初と同様、やはり遺伝子組み替え食品の研究開発には反対だ。先生は食べるかどうかは別だと言われた。しかし今の社会の中では、開発のすぐ後ろに商品化が控えている、と私は思う。だから、研究開発に賛成かどうか、というのは食べるかどうか、ということとほぼ同値だと思う。だから私は反対だ。(工学部)

・今回の議論の中で、開発・研究では市場レベルの結果を出すことは難しいという反対意見がありました。それならそれで、市場に出さず研究・開発のみを行うだけならよいのでは、という賛成意見もあったようですが、開発された技術が市場に出て人間の利益につながるようなことがなく、研究室の中だけで満足されてしまうのならば、遺伝子組換の研究・開発より、他の、人間のためになることを行ったほうがよいのではないかと思います。こういう理由で私は反対です。(教育学部)

・ディベートを行うことによって、自分と違う立場の人の意見を聞くことが出来て、良かったと思いました。また、自分の意見の欠点を見つけるいい機会になったと思いました。
 私は、遺伝子組み替え食品の開発・研究に反対です。なぜなら、それが人間のためだけに行われるからです。このような、人間だけのことを考えてきた結果、現在のような自然環境破壊を引き起こしてきたのです。また、遺伝子組み替えをした作物によって、その周辺の生態系が崩されてしまう可能性は十分にありますし、人体に及ぼす影響が全くないとは言いきれません。このような不安があるため、私は、遺伝子組み替え食品の開発・研究に反対です。(工学部)

・遺伝子組み替えの実験は反対である。もし実験の内容が人間にとって有益ならば、口では実用しないとは言っても、絶対に大手企業の力や国の力によって実用されるのは目に見えている。危険性がある技術を使用しないためには、始めから開発をしなければ良いと思う。
 今回のディベートの感想として、ディベートというかただの意見発表会というような感じがした。私は意見がまとまっていなかったので、発表しなかったが次回のディベートまでには意見をまとめ話したいと思う。(工学部)

・遺伝子組み換えは、いけないと思います。他の動植物にも大きな影響が出るし、やはり人の自分勝手で生きていては、他の動植物は生きていけないし人間にも影響がでると思う。ディベートはみんな参加しないと成り立たないと思う。(工学部)

・遺伝子組換の食品についての研究、開発についての意見がありました。先生の話にもあったように研究、開発を市場に出すのとわけられるのか疑問です。研究はいわば利益になるから行うものです。利益が無ければ研究は行えません。研究には途方も無い費用がかかるからです。企業と結びつくのは当然といえます。よって、研究、開発のみに賛成反対をとるのはおかしいといえます。あえて、研究、開発についてだけをいうのならば反対をとなえるべきではないでしょうか。全てを危険視することで安全対策がたてられるのです。危険ではないかの研究も行われます。ストッパーとなるのです。立ち止まり、振り返ることが無くなればそれこそ濫用がおきます。今までのバイオテクノロジーと結局やっていることは変わらない、そのスピードが遺伝子を直接いじることで急に上がっただけなのでしょうか。そのような感覚を研究員の方全員が持っているとするならばそれは危険だと言えましょう。遺伝子をいじると言うことの危険性を一番知っているのが研究員の方なら、その怖さに逃げを作ってはならないと思います。研究のスピードが問題なのです。十分な理解もなされないまま多くの遺伝子組換が行われています。それが問題だからと言って十分に調査を行うよう規則をきめさえすれば良いのでしょうか。規則を決めたところで単なる面倒な行程に成り果てるでしょう。この位してこの位の事を書いていれば良いんだと言う慣れが入って来るでしょう。私がいいたいのは研究、開発に携わる方の精神です。何故、危険度に1〜4まであるのでしょうか。3は空気洗浄機もついていて室内の空気がそのまま外に出されないが、その代わりコストがかかるのでめったに使えない。遺伝子を組み換えられたものの危険性は危険性も十分分かっていないのに分類できるものなのでしょうか。例えば、作物です。研究の際の危険視はそれほど大きくはないでしょう。だから研究自体も楽におこなうでしょう。しかし花粉が外に流れる危険性は十分にあるのです。菌類ならなおさらです。けれど人間にもろに危険を伴うものでは
ないから危険度は低いでしょう。そうすれば研究員も危険視はしないでしょう。そうしてまあまあで市場にながれて、果たして専門的知識の無い私たちに何の選択権があるのでしょうか。私たちが敏感であるからこそ遺伝子組換の表示がついたのではないでしょうか。世論の声が無くなっては選択権があったとしても十分な情報のない不公平なものにすぎないでしょう。食品に遺伝子組換の原料は使っておりませんの表記はあっても、遺伝子組換していますの表記はありません。そして、遺伝子組換の有無の表記が絶対なされているのか、あっても信用が置けるものなのか、疑問に思います。レストラン、ファーストフード等に遺伝子組換についての告知はありません。これで果たして私たちに安全の選択権があると言えるのか。それが無いからこそ、今私たち消費者がうるさく言っているのではないでしょうか。
 なにぶんにもこのディベートはもっと色々な角度からまず見て学習して行わなければ意見なんて出るはずがありません。どうせ同じことの繰り返しになるのです。こんな浅い知識で何が言えると言うのでしょうか。内部からの、そして外部からの知っておくべき事をまずは教えて欲しいと切に希望するのです。(法学部)

・[遺伝子組み換え食品の開発・研究について] やはり、反対です。遺伝子組み換え食品が危険だと騒ぎすぎだという声もあったが、実際のところ安全だと判断し市場に出回ったケースでも、原因の判らない奇形や種間を越えた予想外の遺伝子の導入が何例も起こっている以上、逆に安全だとは絶対に言い切れない。また、研究している立場の人間が研究に対する安全性については対外的に話すとしても、危険性について話すということは(こと商業ベースにおいては)あまりないだろう。
 [ディベートについて] 急に言われたことだったので、自分の考えていることや言いたかったことを伝えるというのは難しかった。また、人と話をするにも、互いの知識が一緒ではないので相手の知らない(だろう)事を交えて話すと言うことは思うようにはいかなかった。出来れば、事前にある程度のことを調べてからディベートをした方がやりやすいと思った。(薬学部)

<どちらとも言えない> (3人)

・今回のディベートでいろんな意見を聞いて、結局市場に組み換え食品がでまわることが問題になっているように思いました。私は反対派でしたが研究してこういう事ができるというふうに確認したりするだけならいいという感じもしますが、絶対に研究と市場にでまわることを切り離して考えることはできないと思ったことと、それならばもっと必要なことのために研究費をまわすべきではないかと思ったからです。でも砂漠を緑化したり食料問題を解決するのにこれ以外の有力な手段がないのなら研究しなければならないかもしれません。自分の中でも、どちらがいいのかわからなくなっていますが、どちらにしても両者がお互いの意見に固執せずに相手の意見をきちんと聞いて理解しようとする姿勢が最善の道につながるのではないかと思います。(薬学部)

・私はやはりどちらともいえない。確かに、開発・研究過程にはそれ相応の意義がある。バイオテクノロジーという視点においては画期的な産物を得るかもしれぬ期待すべき研究とも言えると思う。しかし、その産物の善悪はまだわからない。世間でよかれと騒がれたらすぐに飛びつく傾向にある現代の私達にとって、容易に賛同するのは危険であるように思う。生態系の破壊等を考慮するとき、やはり私は遺伝子組換え食品に対し疑念の目をもちたいのである。(文学部)

・ディベートという形式をとることの利点とは、一つの事柄に対する両極の意見を聞くことで、物事の一 面に偏らず両面から考えることが出来る、ということであろう。今回ディベートを行ってみて、こうした利点のほかに一つの意見に対する反論を考え、またそれに対する反論を考えることで、互いが互いの面を補完しあうことが出来る、ということもまた利点であると感じた。(文学部)

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