2002年度 レポート第3回 回答集

熊本大学・遺伝子実験施設
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2003年 1月 5日

2002年度 生命科学G レポ−ト第3回(2002年10月23日実施)回答集

[ テーマ ]人は誰でも10個以上の遺伝病の保因者だという事実について

[ 回答 ](23人)

・計算上一人あたり二十個もの変異遺伝子の保因者であると知って驚きました。高校の生物で遺伝性疾患の遺伝を習ったときにも、自分自身が遺伝性疾患の保因者かもしれないと考えたことはありませんでした。 遺伝子診断によって遺伝性疾患を防ぐことについては、胎児が病気だからといっておろすことは良くないと思いますが、他の面においてはとても良いことだと思います。遺伝子審査が普及して、遺伝性のある病気を予防できるようになればいいな、と思います。(法学部)

・私は高校で生物を取っていたので、その事実について既に知っていた。初めてそれを知ったときはかなり驚いたし、自分が発病しないかと怖くなった。また、男性のみ発病する遺伝病のことを考えて、自分は女で良かった等と的外れな考えを持った。しかし人が長い間生きてきたことを考えると、保因者である遺伝病が多いのは当たり前のことである。そう考えると何も怖くない。遺伝病をあるものとして受け止め、それとどう接していくか、つまり、治療の方法を探していくかが重要だと考える。(法学部)

・以前にどこかで聞いたことはあったのですが、実際に計算してその数を見てみると、脅威を感じるものがありました。自分の体について知らないという事は、他のどんなことよりも恐ろしいことに思えます。また、参考文献の中にもあったように、障害や病気と闘う人を差別するのは本当に的を射ていないことも、この数字が明確に証明していると思います。障害を持つ人々を指すとき、「ディスエイブル」よりも「チャレンジ」という言葉が最近使われるようになった意味を、自分にも深く関わることとして受け止めるようになりました。(法学部)

・今から何年後には遺伝子診断が可能になるだろう。もし診断が行なわれれば個人の疾患の遺伝性素因についての情報が得られた後の対応が重要になってくる。その情報が国や病院などから漏れないか、またそのせいで差別されないか、たとえば極端ではあるが結婚するときに情報を提示させられ結婚できない、もしくは結婚はできても子供は作ってはいけないという規制されるような差別、このように心配は多い。我々は平均して10個以上の遺伝病を保因しているという事実自体も恐ろしいが、恐ろしい病気の保因者もしくはその保因数によって差別をうける人がいるかもしれないということがもっと危険であるように思う。(工学部)

・私は最初は人が誰でも10個以上の遺伝病の保因者だということに驚いたけれど、今はそうゆう事実にもかかわらず遺伝性疾患は何万人に一人という発症率であるということに感心をおぼえる。発症率をおさえるために生物がとった優性の法則というシステムに。有性生殖になって現れたマイナスな点をカバーしているのだと思った。それにしても、もしプリントの最後にあるような遺伝子診断が可能になったらどうなるのだろう。怖い気もするが、自分がどんな遺伝病をもっているのか知っておきたいような気もするのは私だけだろうか。(教育学部)

・私が10個も遺伝病を保因しているなんて、考えたこともありませんでした。具体的に遺伝病にはどのようなものがあるのかわからないので、ピンときませんが、私の場合気管支喘息などがそうであるのかもしれません。三大死因を占める癌、脳卒中、心臓病など、個人の生活習慣に依存するものだといわれていますが、遺伝的にそうであるという場合はこれらも遺伝病となるのでしょうか?また、先天性知的障害などについては、一万分の一の確立で自分がそうであったのかもしれないと考えると、そのような人への差別など、馬鹿げたことなのですが、健常者と全く同じというわけにもいかず、多くの場合、何らかの補助が必要とされるので、現状はそう簡単にはいかないと思います。(薬学部)

・遺伝子変異が産生された蛋白の構造、機能のどちらにも何ら影響を与えない場合もあります。その他の変異では異なる蛋白質が作られてしまいます。たとえば、蛋白質の機能は正常であっても十分な働きをしない場合があります。鎌状赤血球性貧血(83)と呼ばれる疾患がそれです。血液中で酸素を運ぶ働きするヘモグロビン(血色素)が変化します。また、蛋白が全く機能を失ってしまう場合もあります。特定の変異がどういう結果を引き起こすかは、その変異が蛋白の機能をどう変化させるかだけでなく、その蛋白がヒトが生きていく上でどれだけ重要であるかということにも深く関係しています。一方、予防、早期発見や治療方法のある乳癌や大腸癌では話が違ってきます。実際、乳癌遺伝子研究の早期に、DNA検査の血液を提供した殆どの人はその診断結果を知りたがるという結果が得られました。例えば:フェニールケトン尿症(PKU)、先天性代謝異常、家族性大腸腺腫症、白血病、腫瘍抑制遺伝子、糖尿病等はヒトが誰でも潜在的に障害を持っています。(理学部)

・そんな事はじめて知りました! 今まで自分は健康でまったくそんな病気とは関係ないと思ってたけど考えが変わりました。自分の遺伝子の中に発症しないにせよ10以上の遺伝病を持ってるなんて・・・ しかも現代の医学では遺伝子レベルの病気を治すことはできないだろう。そうだとしたらなんとも残酷だろうか。かなりの低い確率で発症する遺伝性疾患になってしまった人は幼少のころから普通の人のように生活することもできず、その障害を背負って生きていかなくてはならない。その苦しみはその人だけでなく、その肉親も同等の苦しみ・悲しみを感じるだろう。普段は人の体を創る遺伝子だが、時にそれは障害をもつくってしまう。自分は遺伝子は完璧なものだと思っていたが、遺伝子でさえも完璧な仕事はできなかった・・・ この世に完璧なものなんてないんだろうか? あるとしたら、この変えられない事実だけなのだろうか・・・(理学部)

・正直言って、人は誰でも遺伝病の保因者だという事実には、あまりピンとこない。というのは、「一人あたり20個もの変異遺伝子の保因者」ということを割り出すときに使う「ヒトには5000の発病しうる遺伝性疾患がある」という、莫大な統計が信じられないからだ。 また、この遺伝性疾患というものは、自分自身で見い出すことはできないものなのか。いくら「誰もが遺伝病の保因者」と言われても、自覚できないと事実に納得できないのは、自分一人だけだろうか。(理学部)

・今までは遺伝子診断の意味をきちんと理解しておらず、自分自身はっきりした意見は持っていませんでした。今回の授業を受けて、人は誰でも潜在的に十個以上の遺伝病の保因者であるのに、生まれてくる子供を遺伝子診断で差別することはあまり意味のないことのように思えました。しかしそう考えると自分が今まで健康だったことが不思議に思えるし、これからいつどんな病気が発病するかわかりません。そういったことを前もって準備しておくという意味では、遺伝子診断も生きるうえでの選択としてあってもいいのではないかと思います。(薬学部)

・正直言って驚いた。健康であっても十種類以上もの遺伝病のに関する保因者であると考えると、発病する人としない人の間にはあまり大きな差はないのかなと思った。現在、胎児の段階での遺伝子診断について是非を問う議論があるが、一般市民に対してきちんとした情報を提供していかなければいけないと思う。(工学部)

・人は誰でも10個以上の遺伝病の保因者だと聞いても特に恐いとは思わなかった。病気は病気だから、ならないほうがいいのかな、とは思ったけれど自分の中でももしかしたらすでに遺伝病が進行しているのかもしれない。それでもやはり恐怖はわいてこない。逆に安心している部分がある。みんな遺伝病の保因者だから安心する、というよりもそれも個性の一つだ、という気がしてきた。病気だって個性だ。その個性を否定する人はそれこそ病気より性質が悪い。何を隠そう私もその一人だった。恥ずかしい思いでいっぱいだ。無知が過ちを引き起こす、相変わらず私は大変な過ちを犯してばかりだ。(教育学部)

・「人は、25万人に一人という希な病気の因子を250人に一人というかなり低い確率で保持している。」これはあまりに身近な数字でした。しかも、これらの因子は劣性であるために低確率でしか発現しませんが一人あたり10個以上もっているということです。これらのことから、遺伝による障害は我々にとって相当に身近なものだということがひしひしと伝わってきました。世間一般に障害者と呼ばれる人たちもたまたま「自分のなかにもあるかもしれない因子が発現した人達」と見方が変わりました。(薬学部)

・この事実を聞いても別に驚きはしなかった。そう考えると、正常な両親の間に生まれ た子が障害児になることは珍しくない。とすると、我々は生まれながらに障害者のキャリアであるといってもよい。しかしそう考えると子どもをもうけるのが少しためらわれる。障害をもって生まれてくるのが別段悪いことではないのだけど、親としては子どもはできれば五体満足で生まれてあって欲しいものだからである。(工学部)

・人は誰でも十個以上の遺伝病の保因者であるという事実は意外だった。遺伝子とは正 確無比のものだと思っていたからだ。それがたまたま発病しなかっただけとは .......。つくづく生命のすごさに驚かさせる。40億年もの生き残りレースに勝ち のこるためには、異常を直すだけでなくそれを表に出さないシステムが必要だったの だろう。しかし、今の私達はこの事実を知っていても、発病させなかったりその遺伝 子を消してしまうことはできない。ただ、事前に知りその対策を練るだけだ。大切な のはどうにもならないことにビクビクするのではなく今できることを精一杯やってお くことだと思う。(工学部)

・僕は別に、この数値に驚きはしない。と言うかむしろ、このことはしっかりと受け止めておかねばいけないと思う。遺伝性の病気を持つ子どもの親になる可能性は、誰にだってある。それを防ぐことができるのは遺伝子治療だ。これを利用すれば、知られている範囲の病気なら完全に克服することができる。あとは倫理的な問題だ。遺伝性の病気を持つ子どもが不幸だなんて思わない。だけど自分がその親になるなら、やっぱりきついと思う。それを未然に防ぐことができるなら‥‥、少なくとも僕は、遺伝子治療にすがってしまうだろう。(理学部)

・現在では今まで発見できなかった病気がたくさん見つかっている。その一つがDNAの異常による遺伝病である。技術が発達することにより、新しい病気が発見されており、かつては原因不明の病気として扱われていたであろう遺伝病はすでに受精卵のDNAを調査することにより事前に予測できるようにもなった。そして、誰しも遺伝病の保有者であることも我々が知ることが出来るようになり、新しい価値観・倫理感が必要となってきている。自分の子供(受精卵)が遺伝病であるとが判明した場合などの対応など非常に難しい問題である。また、遺伝病になって欲しくないということで、両親が完全なDNAを持った子供を作り出すことも十分に考えられる。誰もが保因者であるために、遺伝病への対策をたてることが重要であると理解でき、慎重に研究されるのではないでしょうか?(工学部)

・先日の講義を受けて前に呼んでいた本に載っていた、「遺伝子チップ」を思い出してHPで調べてみたら、あの本が出版されたときにはまだまだ先の話だったのに、今では企業別に開発が進んでいるほどらしくビックリしました。DNA解析の次は実用に向けた動きなんでしょうかね? 話は戻りますが、その本には「遺伝子チップ」は夢のような技術だが、生まれる前から自分の遺伝子欠損を知ることで劣等感を背負ってしまったり、その情報が流れ出すことで遺伝子の差別を受けるかもしれない!と、いうことが危惧されておりました。確かに先天的・後天的にしろそうゆう差別が今も起こっている世の中で「遺伝子による差別」が起きない訳がありません。私はこの本を読んだとき正直怖かったです。それは、私の子供が出来る頃にはもう技術が確立していて子供を生む前に二つの選択が両親に課せられることを想像したからです。一つ目の選択肢は「産む」二つ目は「不利益な遺伝子を持たないor有益な遺伝子を持つなら産む」です。私は安易に一つ目は選べません、子供の将来を考えた場合「遺伝子の優秀さ」で仕事の昇進が決まるかもしれないし、他にたくさんの問題が起きるでしょう。なんか、話がずれてきた気がしますが、私の思ったことは「人は誰でも先天的に障害を持つんだから、そういう遺伝子の差別はナンセンス」と、いうことです。でも、世の人はこの事に気づいていません、いや、知らないんでしょう。じゃあ、どうしましょうか? 私が今思いつくことは「差別をする人にこの事を話してみる」と、いうことぐらいです。この後、もう少し考えてみます。あっ、レポート書きながら思ったんですけど、「試験管ベイビー」は怖いですねぇ。(理学部)

・人は誰でも10個以上の遺伝病の保因者であるという事実についてですが、はっきり言って実感もわかないし、どうしようもない感じがします。しかし自分に子どもが出来たとき、自分の遺伝病の遺伝子のいくつかが伝わるんだから関係ないとは言えません。かと言って、むやみに遺伝子操作をして自分の子どもに自分の遺伝病の遺伝子を伝わらなくするのもどうかと思います。それは、人が人の命を操作することに僕は多少疑問があるからです。だから僕は自然と人工技術の境界線を明確に決める事が今一番大切だと思います。(理学部)

・私は、遺伝病の保因者であるということをそんなに特別なことであるとは思っていません。私の高校時代の友人(男子)は、色覚異常で、色盲でした。クラブ活動の仲間だったその人は、とても明るくみんなの人気もあり、けして色覚異常を感じさせない人でした。高校を卒業した三月、一番最後にみんなで集まったときに、飲み物を入れて配っていた色つき紙コップの色が見えなかったということで、初めて彼が色覚異常であるということがわかりました。しかし、私は高校で生物を選択し勉強していましたが、色覚異常は男子では約20人に一人という高い確率で現れる症状だそうで、そういうふうに考えると私の高校のだいたい一クラスに一人は症状を持つ人がいたことになります。彼自身、あっけらかんとして自分が赤緑色覚異常であることをみんなに話していましたし、「どういう感じなのか」と訪ねられれば「こんなふう」と屈託なくはなしていました。もちろん、彼も以前は気にしていたかもしれないし、彼に症状のことを尋ねるのがただの知り合いであれば、彼の反応は変わっていたのかもしれません。しかし、私の伯父も色覚異常(色弱)であり、私の身の回りには遺伝病を持つ人がいたため、また生物の授業の知識も手伝って、「遺伝病」というものを特殊なものだとは思えなくなっていました。
 しかし、やはり「遺伝病」を持つことで遺伝病を持たない人と違う生活を強いられる人もいるでしょう。イギリス王室の血筋に血友病の発症者・保因者がいるということは結構有名な話です。血友病自体にそんなに詳しいわけではありませんが、出血が止まりにくくなる病気だということは知っています。
 色覚異常も血友病も、両方とも伴性遺伝によって伝わっていきます。特にこの二つはX染色体上に関係遺伝子があるため、遺伝は母親由来になります。私は色覚異常の友達を見て、彼のお母さんは辛かっただろうと考えました。彼自身に対する憐れみや同情は失礼だと思いました。しかし、子供のことを知った親のショックは、どうでしょうか。もし私が色覚異常だったとしても、おそらく彼の年齢には、彼のように振る舞えたのではないかと思います。しかし、私の伯父が色弱であることから考えて、私が色覚異常の保因者である可能性は十分にあるのです。もし将来私が男の子を産んで、その子が色覚異常だった場合、産んだ私はきっと責任を感じると思います。たとえ、それが私のせいではないとしても。
 しかし、私の友人の親がもし、遺伝子検査で色覚異常を見つけ、万が一にも彼を産んでいなければ、私の大事な友人はこの世に生まれていませんでした。私は、それは彼の両親に感謝したいし、彼自身そうだろうと思います。(関係があるのかどうかわかりませんが、彼はとてもお母さん思いでした。) 将来結婚して、私が子供を産むのかどうか今はまだわかりません。しかし、可能性としてそう遠くない未来のことだとも思えます。その時に、他の遺伝病が発現するか可能性もふくめて、私自身にはっきりとした答えが見えていればよいのですが。ただ、私は、どうしても命を選ぶような行動だけは避けたいと思います。私は、産むことと育てることは親の権利と義務であり、生きていくことは子供の権利で義務であると思います。(文学部)

・私は人は誰でも10個以上の遺伝病の保因者であると言う事実を知りませんでした。私も遺伝病を保因しているのだと思うと少し恐くなりました。それと同時に自分もいつ発病してもおかしくないのだなぁと思い、自分が今発病せず元気に過ごしているのがすごい事のように思えます。障害者は保因していた遺伝子病が外に目に見える形で表れているだけで障害者も私も同じであると思いました。遺伝子は何十憶年という進化の中で変異してしまったのだと思いました。(教育学部)

・人が遺伝病を十個持っているということは初耳でとても驚きだった。体の免疫力のおかげでかからない感染病と同じようなかんじなのかなと思った。エイズになると免疫力がなくなってきて普段は跳ね退けている病気にどんどんかかってしまうと聞きました。十個持っていることでその病気にかかる確率はどれくらいあるのでしょうか?(教育学部)

・自分が今健常な体でいることが、非常に危ういバランスの上に成り立っているということに驚きました。将来的に人の遺伝子が完全に解明されたときには、遺伝病を引き起こす遺伝子を組み換えるなどして、遺伝病が起こるのを未然に防いだりできるかもしれません。それが倫理的に許されるかどうかは疑問ですが、遺伝病で苦しむ人にとっては大きな救いになるのではないかと思います。(薬学部)

===== レポートについてのコメント (by ARAKI) =====

・現在、猛烈な勢いで遺伝病の原因遺伝子が同定されています。遺伝子が分かると、遺伝子診断は簡単です。しかしながら、そこから病気の予防法や治療法が明らかになるまでにはかなり時間がかかります。予防や治療が出来ない遺伝病の遺伝子診断は必要かどうか、難しいところです。また、治療の方法を探していく過程において、疾患モデル動物の存在が重要になります。熊本大学では、動物資源開発研究センターを中心に、マウスを用いた研究が盛んに行われています。

・「自分の体について知らないという事は、他のどんなことよりも恐ろしいこと」と書いてありましたが、遺伝子診断に関しては、知らない方が良いという意見もあります。

・遺伝病の保因数によって差別を受ける社会というのは怖いですね。でも、この話は近未来というよりは、既に現実の話なのかもしれません。

・劣性遺伝病の場合、保因者は片方の遺伝子が正常ですから発病しません。健康です。父親と母親が同じ遺伝病の保因者である場合に、その子供が発病する可能性があります。つまり、遺伝子診断の結果は、その被験者ひとりだけに重要な情報ではなく、家族や親族にも影響があります。本人の知らない間に遺伝子診断が行われ、その結果によって、おいやめいの結婚話がつぶれる可能性もある訳です。

・病気も個性のひとつという考え方は重要だと思います。遺伝病に限らず、これだけストレスの多い社会で本当に健康な人というのはほとんどいないと思います。

・「自然と人工技術の境界線を明確に決める」という考え方は重要だと思います。

・遺伝病の中には、片方の遺伝子の異常で発病する優性遺伝病と、両方の遺伝子に異常が起きて初めて発病する劣性遺伝病があります。劣性遺伝病の保因者は発病しません。同じ遺伝病の保因者が結婚した場合に、その子供が4分の1の確立で発病します。
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