2003年度 レポート第12回 回答集

熊本大学
生命資源研究・支援センター
バイオ情報分野
荒木 正健
Tel : (096) 373-6501, FAX : (096)373-6502
2004年 5月 5日作成

2003年度 生命科学G レポ−ト第12回(2004年1月28日実施)回答集

[ テーマ ]出生前診断について

[ 回答 ](全14人)

・『出生前診断について』ですが私は賛成です。何らかの遺伝子病等の因子を持った親は勿論そうでしょうがどんな親でも自分の子供に健康を求めるのはいたって自然な事だと思うからです。それでは何らかの欠陥が発見されたとき迷う事無く中絶をするかというと、考えは二つに分かれると思う。「どんな障害を持っていようと私の子だもの」派と「生まれた後のこのこの苦しみや私たちの課題を考えると」派だ。非情だと思われるかもしれないが私は後者だ。日本は障害者や病に苦しむ人に優しくはなったと思うが、そういう人たちにとって一般の人々と同等に扱われる場の少ない国だと思う。差別的な目で見られることもあるだろうし、金銭的な問題、雇用問題等平等には程遠い状況だと思う。病気で苦しんだり障害で親子共に苦しんだりしてその上その負い目から普通の子より早く死んでしまうのなら、苦しみの無い胎児のうちに殺してあげる方が親子にとっていいと思う。反対意見が多くありそうな意見だけれど正直一番多い意見ではないだろうか。(教育学部)

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 『苦しみの無い胎児のうちに殺してあげる方が親子にとっていい』という考え方は、確かに少数派ではないかも知れません。それだけ今の世の中が(あるいは日本が)、暗く冷たい世界だということでしょうか。もっと明るく優しい世界に変わることを願います。(コメントby ARAKI)

・出生前診断に対して私個人としては賛成をしたいのだが、どことなく引っ掛かるところもあるのが事実だ。実際病気や奇形を持って産まれてくると分かった場合中絶をすることによって親としては、子供に辛い思いをさせることもなく素晴らしいことであろう。しかし、産まれてくるはずであった子供としてはどうなのだろうか。やはり産まれたくないのだろうか。これは芥川の「河童」のような話だが、私にとってはどうも引っ掛かる点である。(医学部)

・出生前診断には必ず選別淘汰という発想がセットになる。そこが出生前診断の秘めた恐ろしさだといえる。生まれる前に「手がない」とか「足がない」とか「脳に異常がある」とかが分かれば、「じゃあ生まれてから苦労するよりもいっそのこと...」と考えてしまうのが親心のように捉えられる。しかし、そもそも「幸せ」とは人が決めれるものだろうか。同じ人間でも考え方は様々であるし、そういう親心は合理化された「幸せ」しか見えていないのではないだろうか。より合理性をつきつめれば、良い社会になるかと言えばそうでないことは今までの人類の歴史で証明されたはずである。世の中には強者もいれば弱者もいる。それは事実であるが、弱者を全て排除すべきかといえばそうではない。(文学部)

・私は出生前診断を行うことに賛成です。先天的な遺伝子・染色体異常を調べておくことで、その家系で既にわかっている遺伝病が発現する可能性を知ることができ、またその家系で遺伝している病気を発見できるからです。心構え…と言ったら言い方が悪いかもしれませんが、何も異常がなかったら安心できますし、もし何か異常が見つかっても、親としてそれなりの準備・対応ができるのではないかと思います。
 しかし、生む前に自分の子供に遺伝子異常が見つかったとき、その親は生むのをためらったり、もしくは中絶してしまうということも考えられます。それでも、どんな異常があったとしても、その子は自分の子供には変わりないので、愛着がわかないわけはないと思います。理想論かもしれませんが。
 事前に詳しく調べて、現状を全て受け入れてこそ、本当の親になれるのではないでしょうか。(工学部)

・出生前診断は「生まれてくる子が障害を持っていた場合に、親が子供を選ぶ診断」と言う風に認識していましたが、今回レポートを書くにあたっていろいろとしらべて見るとそうではないことが分かりました。しかも母体保護法によって、「胎児の障害があったとしても、母体保護法上、胎児の障害を理由に人工妊娠中絶手術を行うことはできない」とされています。心臓病で生まれてきた子供などは、発病前の治療等によって元気になった例も多いそうです。しかし、日本人類遺伝学会をはじめとする関連学会で、母体保護法に重い遺伝性疾患の胎児の中絶を認める「胎児条項」を入れる積極的動きがあると言うのも見ました。これは胎児の人権侵害であり、行われてはいけないことと思います。このようなことが行われるならば、むしろしないほうがいいと思います。(法学部)

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 今回は、「動きだした遺伝子医療  ーー差し迫った倫理的問題ーー」(松田一郎著、裳華房、1,400円、1999年5月)を参考にしてコメントします。しかしながら、あなたの情報源の方がもっと新しいことも予想されますので、その時は教えて下さい。
 「動きだした遺伝子医療」p92-101によると、
・WHOのガイドラインでは、中絶を含めて、その決定は母親がするべきもので、その際、医療側が介入することを強く戒めている。
・現在、わが国の法律では、中絶は胎児の状態に関係なく、母親の健康が損なわれる恐れがあるとき、母親に経済的理由があるとき、などの条件下で許されている。
・法的に同意された見解として、出生後できる限りの手を尽くしても生存できるのは、今の医学ではごくわずかの例外を除けば妊娠22週以後なので、それまでの中絶は許されるが、それ以降については堕胎罪を適用し、違法とすると決めている。「胎児に異常がある場合」という、いわゆる胎児条項はない。
・出生前診断よりも、着床前診断(受精卵診断)の方が、妊婦に与える精神的負担が少ないので、倫理的に中絶よりも受容可能という意見がある。
と書いてあります。つまり、妊娠22週までの中絶に関しては母親に決定権が有り、それ以降は胎児の人権を重視するということだと思います。もちろん、出生前診断の目的の中には、出生直後あるいは胎児期における治療を目的としたものもあると思いますが、多くは生むか生まないかの判断材料だと思います。これは遺伝病に限ったことではなく、ダウン症やHIVの胎児感染などにおいても、出生前診断あるいは出生前検査が行われており、母親の責任の重さやインフォームドコンセントの重要性を痛感します。 (コメントby ARAKI)

・この方法の存在自体に反対するつもりはないが、この結果をもとに受精卵を選別するという行為には反対である。障害を持って生まれてきても両親または周りの人達の協力で幸せに暮らす人は数多くいるだろう。診断を行った医師にしても、両親にしてももしこういった命を選別する事に賛成するなら、確かにより幸せを感じる生活を送れるかもしれないが、それは生まれるはずだった子供に対する努力を避け、逃げた事に他ならないと思う。これはあくまで私の意見で当然実際子供を生む両親には別の意見があると思う。いずれにせよ、これからもっと盛んに行われまた議論される問題である事は間違いないだろう。(医学部)

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 最近ニュースにもなった男女の産み分けなど受精卵を選別する技術は、一般的には着床前診断(受精卵診断)と呼び、いわゆる出生前診断とは区別して議論されます。もちろん着床前診断も広い意味で出生前診断に含まれます。しかしながら、母親にとって肉体的にも精神的にも負担が少ないという理由で着床前診断の方が、出生前診断よりも抵抗が少ないと言われています。(コメントby ARAKI)

・出生前診断というものは、その名の通り、人が生まれる前に遺伝性の疾患があるかどうかなどを調べ、それを避けようとするものですが、まずはじめに正直な意見を述べてしまうと、私はこれに反対も賛成もできません。単純に自分の生まれくる子供の心配などしたことないという個人的な理由から、賛否どちらの立場も十分に理解できるからという理由までありますが、しかしまた一方で、どちらの意見にも偏りすぎてはならないとも思うからです。
 この問題に関してはまず、生まれる前に診断し、未然に防ぐということに対してのとらえ方の違いが大きな問題となるでしょう。出生前診断に賛成する方々は、五体満足で重要な病気もなく生まれることが保証されることをよしとしています。病気にしろ犯罪にしろ、最も良い解決法はそれを未然に防ぐことなのですが、生まれる前にもこれが適用されるとする考え方です。一方、反対意見では主に、障害があることは受け入れるべきと考える人が多く、これを未然に防ぐということは、障害を持つ子供の生まれてくる権利を侵害していると考えもします。中立的な立場からいわせてみると、両者とも理解できる考え方がある反面、また両者とも危険な思考も含まれている気がしてなりません。
 まず、賛成意見については、当然それを倫理的に反対することができます。人の誕生は神秘的なものと扱われることも多く、それを操作することなど認めない価値観の人も多いはずです。人間をカタログショッピングのように選ぶことなど言語道断だと憤慨する人もいるでしょう。それも全くで、出生前診断を「未然に病気を防ぐ」でなく、「生まれる前に子供を選別する」ととるならやはり問題があります。障害や疾患を防ぐためというだけならともかく、この技術を応用すれば生まれる前に、更に詳細に、例えば外見や能力など、遺伝子のランダムさが起こす情報を様々に自由に選べるかもしれません。そこまでいくとなると、選民的ないし排除的な思想に繋がらないとは言いきれません。明確に病や障害と認められる身体的・精神的障害よりも、五体満足であっても障害とは認められないような差異によって差別されることが、部分的人権過保護の現代社会ではむしろ多いのですから。また、出生前診断だけについても、障害者排除的な思想を含むともいわれています。もっとも私には、この考えは多少被害妄想的な部分があると思えてならないのですが。親にしてみれば、自分の子供が障害をもつことを望まないのは当然ですし、純粋に子供が生まれたあとのことを思ってのことでしょう。何も「障害をもつ子供は生まれてくるべきではない」という考えは含まないと思います。これを障害者を排除しようとしているものだととるのは、論点がずれているというか、いささか飛躍した論理のように思えてならないのです。それも含めてなのですが、反対意見についても問題はあるように思います。反対意見にもいくつかあり、ただ自然のままをよしとするだけであったり、既存の障害者たちに対して肩入れするものであったり様々ですが、それらは本当に生まれたあとの子供自身のことを思ってのことでしょうか。親の自己満足で終わってはいないでしょうか。障害者も人権が保障されるべきである、当然に生まれてくる権利をもっている、という考え方は現代民主主義社会においては立派に正論ではありますが、それはあくまで親やその周囲の考えにすぎません。親がたまたま、その環境で育ちそういった考え方になったにすぎず、「生まれてくる子供が障害をもっていても、きっと受け入れて私たちと幸せになれる」などというものは、不確かな夢想であり、ただの綺麗事ともいえます。勿論、生まれてくる子供が障害をもたないでほしいという望みも、親の自己満足的な部分も含みはしますし、その有無を親が選ぶというのも多少は勝手な独善的行為だと言わざるをえませんが。また、本来生まれくるはずだった子供ではない子供が生まれることになったのかもしれない、と可能性や仮定を論じるだけなら、それは万物何にでもいえることであり、私は問題にすべきではないと思います。勿論、人間の操作によってその可能性が狂わされたという見方もできますが。
 子供の幸せのための親の判断ですが、親も含め家族となるのですから子供だけの問題でもありません。価値観に反してまでこのような選択をする必要もありませんし、実際に障害をもった子供をもっても幸せに暮らしている人々は大勢います。どのようにしても未来の子供に意見を問うことなどできないのですから、結局は親次第ということになります。親がどう望むか。親の考え方で変わります。そして、母親だけでいうならば妊婦は心理的に不安定なことも多く、難しい問題です。  出生前診断にはメリットも多い反面リスクも多く、私は一方的に反対するわけではありませんが、現時点での安易な実用化や普及は避けるべきだと思います。また、障害をもって生まれてきた者の権利が保障されることは、この社会では当然のことです。しかし、障害者問題は別として、生まれてくる子供の五体満足と幸せを願うのは親として至極当然のことです。出生前診断というシステムには反対されるべき点も多いですが、少なくともその思いだけは批判できないと思います。 (法学部)

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 「出生前診断」についてのあなたの意見はおおむね理解できます。基本的には反対の立場に近いと思います。あえてコメントを付けるとすれば、出生前診断におけるミス、つまり誤診の可能性も考慮した方が良いと思います。遺伝病ではないのですが、実際に行われている出生前診断の約9割は染色体異常に関するものであり、主にダウン症が対象になります。また、広い意味で出生前診断に含まれる着床前診断(受精卵診断)の場合にも、誤診が与える影響は、予め考慮する必要があると思います。 (コメントby ARAKI)

・私は賛成です。生んだ後につらくなる可能性をいち早く知りたいと思うのは当然だと思います。私も遺伝的に病気を持っているので出生前診断はしておきたいと感じています。(工学部)

・出産前に遺伝子判断が出来るのは良いことだと思う。もし何か遺伝病を持っていたとしても始めから知っているのと知らないのとでは子供への対応の仕方が変わるか、もしくは遅れてしまうだろう。そのようなことがないよう、早くから子供の遺伝病について理解し、どのように育てていくのか考えるのがよいだろう。(法学部)

・出生前診断の目的は生まれてくる子供の選択にあると思います。これには大きな倫理観が関わってきます。というのも子供の選択とはすなわち中絶を意味します。中絶する場合とは恐らく遺伝子を調べて欠陥が見つかり先天的障害をもって生まれる場合が明らかになった時でしょう。しかし私は障害をもって生まれることと本人が生きていくことは関係ないと思います。親がそういう子供をほしくない、世話をしたくないというのが中絶の理由だと思います。まず出生前診断自体を受けることが中絶の意志の表れです。私は中絶という行為自体に反対なので、それに結びつく出生前診断には反対です。(工学部)

・私は出生前診断に反対です。その診断によって胎児の性別が分かります。もし親の望みではない性別だったとしたら、極端な話、母親は胎児をおろすかもしれません。この様な事態を防ぐためにも出生前診断はやめた方が良いと思います。(法学部)

・自分は出生前診断に賛成。なぜなら、子供は生まれれば必ず幸せとは限らないと思う。病気や障害を持って生まれてきた子供は苦しむだろうし、親だって大変だろう。だから自分は賛成である。(工学部)

・出生前診断については、今の立場であったら倫理的な問題がどうのこうの言えるが、もし自分の子供が生まれることになったら、やはり自分の子供が遺伝病などにかかるか気になると思う。(理学部)

・出生前診断は良いと思います。子供がどういう病気を持っているかを知っておくことで、生まれた後どうしていくかを考えたり、覚悟や準備ができるからです。しかし、これはあくまで自分の考えです。出生前診断については個人の考え方や価値観によって賛成反対は分かれると思います。ただ私は賛成なので両親の同意があればすべきだと思います。しかしこれは生まれてくる子供の意志は含まれていないので、簡単には出生前診断が良いと言えるものではないと思います。(医学部)


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