2004年度 レポート第2回 回答集

熊本大学
生命資源研究・支援センター
バイオ情報分野
荒木 正健
Tel : (096) 373-6501, FAX : (096)373-6502
2006年 5月19日更新

2004年度 最前線の生命科学C レポ−ト第2回(2004年10月13日実施)回答集

[ テーマ ]『被ばく治療83日間の記録 〜東海村臨界事故〜』を見て考えたこと

[ 回答 ](全9人)

・臓器でなく細胞の移植について詳しく学んだのは今回が初めてです。被爆治療83日の記録という題名から83日後には最終的に治るんじゃないかと勝手に楽観視したんですが、凄惨な結果がとても残念でした。最新の技術で生み出した人工皮膚も皮肉にもただ長く苦しませただけかも知れません。(医学部)

・今回の授業を受けて思ったことは、放射能を浴びて遺伝子が破壊されたと聞いても、それによって被爆者がどのようになるかが想像できず、細胞の壊死で皮膚があそこまで変化したことや血液に異常がおこったことには驚きました。言葉として聞いたならたいして実感も抱きませんでしたが、実際に画面で見てみると症状がよくわかり、どれだけ変化するものなのかを知ることができました。
 後、患者の尊厳死についての意見や感想がありましたが、私としては賛否できない問題であると思います。治療を中止して個人の名誉を守りながら死んでいくのは患者の方からしてみれば断腸の思いをしながらも選択できますが、医療従事者としては道徳的には人殺しのようなものではないかと思うし、自分なら見殺しにしている様な気分になるので、患者を苦しみから解放させるべきかそれともエゴとわかっていても限りなくゼロに近い短期間での医学の進歩による治療の可能性を信じて治療を行うべきかは、第3者としては意見しづらく、患者としてなら賛成で、医療従事者としてならば尊厳死を行わなければならない状況にはなりたくないというのが私の意見です。(医学部)

・今日の授業を受ける前まで東海村の臨海事故は杜撰な管理体制が引き起こしたちょっとした事故ぐらいにしか思っていませんでした。ニュースでは最初のうちは騒いでいたけど、その後の報道もなっかたのでてっきり軽い事故で済んだものだと思っていました。しかし、実は授業中に見たビデオのような悲惨極まりない事実があり、吃驚しました。これはマスコミはしっかり何が起こったのかを伝えてないことを如実に語っています。起こった事柄のみを表層的に伝えているだけで核心に迫ってない報道を彼らはジャーナリストとして恥じることなく民衆に伝えているのでしょうか?しかっり何が起こったのかを民衆に伝えて浸透させていかないとこのような事件は再発すると思います。
 今回のビデオの話になりますが、大内さんは大量の放射線を浴びて染色体が破壊され、タンパク質が作れなくなりました。これによって白血球が減少したり、皮膚が剥がれたりしました。また消化管がやられたため1日3リットルもの下痢がでました。これらはとてもじゃないけど、信じられないことですが事実なのです。聞いてて気分が悪くなるくらい過酷な治療、多分それは見込みのないものが繰り広げられ、見てられませんでした。
 小学生の頃は裸足のゲン、中学生のときは長崎の原爆資料館を見ましたが、大野さんのように放射線を浴びた人、さらには爆風や熱線で焼き爛れた人が数万人単位で起こったわけです。とてもこの世の中で起こったとは信じられません。原発にしろ原爆にしろそれを推し進める政治家がいます。そんな人たちには今回見たビデオを見せたうえでその近くに家を建ててもらって住んでほしいものです。(医学部)

・もし自分が被爆したら、死がすぐ先に見えてても苦痛を伴う治療をしてもらいたいだろうか? 逆に医者になって同じような状況の時患者を救おうと思うのだろう? ビデオの中の医師達は自分達の士気を下げないために考えずにいたと言ってるが、明らかに逃げていると思う。その問いから逃げずにはやっていけないのだろう。僕は今もこれから先も悩み続け、正しいかどうかはわからないが自分なりの答えを出そうと思っている。(医学部)

・ビデオの内容を見て、久しぶりに原発の話題に触れたような気がする。新聞やテレビをあまり見ない自分が悪いのかもしれないが、それでも、原発関連の情報はメディアの中で、押さえ込まれている、と聞いたことがある。情報があったとしても、危険性はない、とか、有用である、とかいった、肯定的なものばかりが僕の記憶にも多い。
 本来は、原発というものは必要がないものらしい。原発の必要性を訴える時に必ずといっていいほど引き合いに出されるのがエネルギー問題だが、日本で電気エネルギーが一番懸念されるのは、実はある一定期間の間だけらしい。他の期間は、それこそそれまでの火力水力etc発電で、まかなえてしまうほどのもののようなのだ。その期間こそ、夏場真っ盛りの昼間、クーラーが大量稼動する時期だ。この期間に、時間当たりの総ワット数が、通常の必要量を越えてしまう。実際その越えてしまう分を補うことに、原発の電力が必要になる。
 しかしこれには、実行されなかったが、うまい解決策があったのだ。家庭の電力消費は時間辺りどのくらいで換算されるが、簡単に言うと、その単位時間中に、電気を使いすぎて限界を超えることさえなければ、ブレーカーがおちることはない。それと同じで、ある都市も家庭と置いて、そう考えることが出来る。都市の総電力使用量を、原発が不必要なくらいのレベルに押さえればいいのだ。押さえる方法は簡単で、都市で言うなら、まず一定の地域に区画する。つぎに、ひとつの区画で、一斉にクーラーの電源を一時間だけ落とす。後はそれをローテーションで区画ごとにまわしていけば良い。それだけで単位時間当たりの電気必要量は激減する。期間を電気使用時間の集中する昼に限定するなら、一時間より短くてもいいし、そのくらいの時間では、室温はそこまで上がらない。ほんの少しの我慢が出来るかどうかの問題なのだ。それで、原発の環境汚染を避けることが出来た。
 でも、この施策が実行されたという話は聞かない。当時は、電力を商品とする電力会社が原発を必要としていたから、原発の危険性は大きく抑えて報道され、こういったことも知らされなかった。と、習った。くわえて、省エネは会社が電力を売れないことを指し示す。…電力会社に敵対しすぎの感がある講義だったので、本当かどうかは疑わしいが。
 事実上、この講義で習ったことのひとつに、放射線防護服の被爆問題があった。しかし、これはまったく聞かれない話だったので、信じていなかったのだが、このビデオを見て信憑性が出てきた。放射線防護服は、下請けに回されて洗浄され、使いまわされているらしい。このビデオのように、放射性物質を直接炉に注ぐようでは、当然だが服には汚染物質が付着している、と考えられる。つまり、この防護服から、下請けの洗浄会社の社員が、結構な数、被爆しているというのだ。直接的な被害ではないので報道されないし、ほとんど明らかにされないことだが、実際に行われている、とまことしやかにおそわった。こういう不利な情報源になることは、電力会社はまったく報道しないらしい。
 なんだか原発の裏には、もっといろいろなことが隠れていそうだ。僕は講義で、少しでもそういった情報に触れることができたが、そうでない他の人たちはどうなのだろう?その講義も、黒人に対する白人絶対主義者並みに原発を毛嫌いする方の講義だったので、本当のところは疑わしい。ただ、原発のいい面だけを信じている人が、わずかでも少なくなればいいなと思う。そもそも原発が本当に安全なら、わざわざ人口の少ない立地条件で建設する必要がないのだ。
 DNA関連の事に触れると、患者の体染色体が崩壊していた時点で、医者たちは患者は助からないことがわかっていただろうに、と僕は思った。現在の医療技術には、遺伝子レベルの修復で患者の症状を改善する技術は,確か存在しないはずだ。それを考えると、見通しはかなり暗かったはずだが、彼らが治療を続けた理由も、状況も、それなりに推察できる。まだ生きている人間を見捨てる医者などいないだろうし、死傷者を出したくなかった関係者側の事情もわかる。
 講義のときは意見がまとまらなかったが、講義の後にみなの意見を聞いて、思ったことがひとつある。医者になるということは、僕はとてもわがままな人間になることだと思っていた。どういうことかというと、予備校の医学部面接試験用の練習問題として、以下のようなものがあったためである。「目の前に、ガソリンを全身にかぶり、火をつけて自殺未遂をはかった女性が運ばれてきた。その女性には巨額の借金があった。もう何度かめの自殺未遂であり、助かったとしても、女性の心と体に大きな傷痕を残してしまうのは目に見えている。助けても、ほぼ間違いなく、その女性はまた自殺行為を繰り返すだろう。それでも、あなたはその女性を助け続けますか?」
 正解などあるのか疑わしいが、実際、医者ならば助けると答えなければならないらしい。医者というものはそういうものらしいのだ。患者から恨まれても、患者を助けるのが医者。それがどうも、医者自身のわがままを通しているように思えて、実際そんなものなのかもしれないな、とずっと思っていた。極論すれば、たとえ苦しみを強要することになっても、患者に生きていてもらう。生きながらえさせるのが医者。治せない病、逃れられない死、というものがあっても、最終的には死というものを否定し続ける。
それが、医者という職業の立場なのだ、と。
 だから、究極的にはあのビデオの医者たちは間違っていないのだろう。でも、そこには人間であることと矛盾が出てくる。人間はただ生きること、生き延びることだけが、人生ではない。その点が医者の立場に沿わなくなってくる。僕個人の偏見では、安楽死などは、人間である立場から、医者の中に生まれた概念だ。医者としての立場では、それは敗北になる。人としての立場では、それは敗北だろうか。その二つに矛盾はないのだと、僕は思いたい。
 医者は何のためにあるのかと、多分医者になろうとしている人の言葉だったのだと思う。たんに考えもせず、つと口にでた言葉だったのかもしれない。悲観的になっていての言葉なら、どうか、そう悲観的にならないでほしい。しんどいことも多いのだろうが、医者としてできること確実にある。僕はそう思っている。どうかがんばってほしい。(医学部)

・原子力の強さがよくわかっているつもりなのに、このビデオを見て、胸が痛みました。
 白血球減少し、移植された細胞の染色体まで傷つけられ、水分が失い、筋肉繊維も失い、心臓だけ残っている状態を考えてみると、自分はただ死を待つだけの塊のような気がしました。
 そばにいるお医者さんや、看護婦さんたちが、助けようとしても助けられないという悔しさもよく理解できました。
 中国には、「人定勝天」(人間の力は必ず大自然に打ち勝つことができる)ということわざがありますが、本当にそうでしょうか?(文学部)

・医師達は最善をつくそうと努力はされたのでしょうが、それでも対応が後手にまわってしまっているのを見ていると、病状が悪化するもっと前から何か有効な手はうてなかったのかと思ってしまいます。(医学部)

・今回の事件のことは私はまったく知りませんでした。その上でこの事件の資料を見て、とても衝撃を受けました。資料の中で皮膚が壊れて、再生しなくなる様子がとても恐ろしく、放射能によって遺伝子、染色体が壊されることがどんなに恐ろしいことかを身をもって体験すると死んでしまいますが、間接的にも体験することが出来ると思います。将来、DNAをたんぱく質から逆転写することでこのような症状に陥った人々を助けることができる世の中になればいいなと思いました。(理学部)

・このような具体的で凄惨な記録を見せてもらったのは初めてでした。感じたのは、まだ助けることの出来ない人もいるということ、それとそのような人たちを助けられるだけの力を養うために、自分たちも頑張っていこう、ということです。いつの日か、すべての生命が天寿を全うできることを願います。 (医学部)


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