2008年度 レポート第3回 回答集

熊本大学
生命資源研究・支援センター
バイオ情報分野
荒木 正健
Tel : (096) 373-6501, FAX : (096)373-6502
2009年 9月30日更新

2008年度 最前線の生命科学C レポ−ト第3回(2008年10月16日実施)回答集

[ テーマ ]尊厳死について

******************* 第2回レポート抜粋 ******************
・医療に関して言うならば、現在は実現されていないが、医療は患者の生命を維持するものではなく患者のヒトとしての存在を維持できるものであってほしいということある。ビデオの中で取り上げられていた『これは誰なんだろうではなく、これはなんだろう。』と看護師が発言してしまうほどの状態、患者の親族の気持ちや、患者本人の気持ちを考えてもこれからの医療においてのヒトの尊厳のありかたについて考えさせられました。 (薬学部)
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 『これからの医療においてのヒトの尊厳のありかた』については、一人一人が充分に考える必要があると思います。是非、次のふたつのホームページを両方ともチェックして下さい。
「日本尊厳死協会」[ http://www.songenshi-kyokai.com/ ]
「安楽死・尊厳死法制化を阻止する会」[ http://soshisuru.fc2web.com/index.html ]
(コメント by 荒木)
***** この意見を参考にして、第3回レポートテーマを『尊厳死について』にしました。******

[ 回答 ](全41人)

法制化に賛成(22人)

・最近"延命治療"についてニュースや新聞で話題になった。ただ単に生命を維持するために行うことなのか。その人の意志に基づいて行うことなのか。もし家族や遺族の方が延命を望んだとしても本人が死を望むのであれば、その意志を尊重すべきだと思う。個人をただの生きている生命体ではなく、一人のヒトとしての人間性を見ることが大事だと思う。 (工学部)
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 難しい問題ですが、一人一人が自分自身や自分の家族を想定して考えなければならない問題だと思います。 (コメント by 荒木)

・二つの異なる主旨のホームページを見て、尊厳死の法案化はよく検討した上で進めるべきだと思います。自分の意思で不治の病の延命措置をやめて、死を迎える権利は末期癌患者など治療の見込みのない人々がQOLと尊厳を保ちつつ最後の時を過ごすために必要だと思います。ターミナルケアがその代表例です。苦痛から解放されるためにペインコントロール技術を積極的に活用しつつも最後は自然に死を迎えるという選択肢を選ぶことができるのは、末期の患者様にとって最後の選ぶ権利となるのではないでしょうか。しかし現実問題として、末期の患者様はとても弱い立場に置かれています。治療費や家族の重い負担を考えて死を迎えるという選択肢を選ぶ人が出て来るのではないかと不安に思います。従って果たして本当に患者様本人が尊厳された死を迎えるのかをよく検討した上で、尊厳死の法案制定を切望します。 (医学部)
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 医師または看護師の立場から考えられたのかなと思いますが、よく書けていると思います。 (コメント by 荒木)

・先生が示した2つのサイトに目を通したが、率直に言うと、どちらの意見も納得でき、なるほどと思った。でも、死ぬ前の自分におきかえて考えてみると、やはり尊厳死があってほしいと思った。理由は、個人的な意見であるが、ただ単に楽に死にたいというのと、家族につらい思いをさせたくないということだ。リヴィングウィルを見たところ、その点は大丈夫な気がした。なので、一応尊厳死に賛成だ。 (医学部)

・末期癌などになって、激しい肉体的・精神的苦痛の中で生きるよりは死んで楽になった方がましなので、尊厳死に賛成です。 (薬学部)

・尊厳死・安楽死には賛成です。まず下手な延命治療は患者さんにとってもかなり辛いと思うし、病院の負担にもなると思うからです。家族からすれば生きていてほしいと思うとは思いますが、家族も当人の苦しみをなくしてあげたいとも思うと思います。尊厳死・安楽死を考えるときには患者さんの意識ないことが多いと思うので、そのまま楽にしてあげるべきだと思います。ただ尊厳死・安楽死に反対される方は殺人や自殺が一般化することを懸念されていますが、それももっともだと思いました。そういう面も尊厳死・安楽死を考える上で重要だと思いました。 (工学部)
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 「尊厳死」と「安楽死」を同じと考えるかまったく別と考えるかは、人によって意見が違うと思います。もちろん日本語としての意味(定義)は明らかに違うのですが。 (コメント by 荒木)

・尊厳死とは、人間が人間としての尊厳を保ったまま死を臨むことである。しかし、病に侵された患者さんの命を尊重するために、延命活動を行うことに私は反対だ。患者さんは、最終的に意識を失うような状態までなる人が多く、そのような状態を尊厳を保って生きていると言えるのだろうか? 患者さんは延命を望んでいるのだろうか? 日本ではまだ安楽死が認められていないが、患者さんの気持ちを尊重するためにも私は、安楽死は認められるべきだと考える。そのことが患者さんの人間としての尊厳を保つことにもなると思う。 (薬学部)

・私は尊厳死については賛成です。もう絶対に回復の見込みがない患者さんやその家族にに、無駄な負担をかけなくてすむからです。本人や家族がそれを望むのであれば、苦痛を伴う延命治療を続ける必要はないと思います。
 しかし、本当に回復は不可能なのか、本当に本人や家族は尊厳死を望んでいるのか、など問題は多いです。もしかしたら治療法が開発されるかもしれないし、また、医師と患者さんとの意志伝達が上手くいってないかもしれません。特に後者は、患者さんの本当の気持ちを理解できない可能性が出てくるので、そんな中での尊厳死はただの殺人行為と変わりないでしょう。
 人の命を一つなくすかどうかの選択なのですから、細心の注意を払わなければなりません。そうした上で、正しく尊厳死が行われるなら、私は賛成です。 (医学部)
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 立派なレポートだと思います。 (コメント by 荒木)

・日本尊厳死協会、安楽死・尊厳死法制化を阻止する会、双方の主張を読んでみて、私は日本尊厳死協会の主張に賛成します。
 私自身まだ19歳でこの先どう考えが変わるかわかりませんが、もし自分が年をとったらボケたり寝たきりになって周りの人に迷惑をかける前に早めに死にたいと考えています。そう考える人や、不治の病にかかって、死ぬまで終わらない苦痛に日々苛まれている人は少なくないと思います。
 ただし、安楽死・尊厳死法制化を阻止する会が主張している、”ただでさえ弱い立場の人々に「周りに迷惑をかけずに自分で進んで早く死んでいくように」というのです。法によって自分で決める形をとらせて、進んで「死の行進」をさせられることは許せません。”ということにも一理あると思います。もし尊厳死が法制化されたとしても、このような事態にならないためにあくまで本人の意志によって尊厳死が出来るように十分な対策を講じておく必要があると思います。 (工学部)
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 良く書けていると思います。『あくまで本人の意志によって尊厳死が出来るように十分な対策を 講じておく必要がある』というのは重要なポイントだと思います。 (コメント by 荒木)

・基本的に、尊厳死については、賛成です。なぜなら、患者自身が望む死に方があるからです。また、たくさんのチューブによって繋がれ、生きている人が幸せだとは思えません。しかし、それは、本人が本当に望んでいなくてはなりません。そこに他者の思惑があってはなりません。そのためにも、個人の尊重されるルール作りが必要だと思います。 (薬学部)

・苦痛を伴う延命治療など行いたくないと考えるのであればそれを認めるべきだと思います。その苦しみは当人やその家族が一番よくわかることだと思います。そのような人たちが出した結論を最も優先させるべきです。安楽死・尊厳死法制化を阻止する会のホームページには,安楽死や尊厳死は弱者を死においやるというような旨で書いてありますが,必ずしもそういうことではないと思います。 (薬学部)

・私は尊厳死は認められるべきだと思う。確かに、尊厳死には反対意見もある。<個人の「死ぬ権利」は、「死ぬ義務」となり、弱い立場の者に「死の選択を迫る権利」に置きかわっていかないか。>と安楽死・尊厳死法制化を阻止する会は述べている。しかし、自分が機械につながれていなければ生きていられない状態になったとして、それでもなお生きていたいと、すべての人が思うだろうか。考え方は様々だと思う。私たちはこの世に生まれたことに感謝して、自分の人生を全うする義務がある。だけど、全くどうしようもない状態で、回復の見込みもない状態においては、本人、もしくは家族の人の意見が優先されるべきだと思う。
 しかし、尊厳死の問題は生命に大きくかかわるので、現時点で私ははっきりと意見を述べることができない。これからもこの言葉を耳にする折々にこの問題について考えていきたい。 (教育学部)
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 この講義において、2006年度の冬休みの課題レポートのひとつに『1リットルの涙 難病と闘い続ける少女亜弥の日記』(幻冬舎文庫、270ページ、560円)を取り上げました。もしまだであれば、一度読まれることをお勧めします。 (コメント by 荒木)

・私は尊厳死は賛成です。苦痛を和らげ死を迎えるほうが、税金を使って無駄な延命治療をするよりはいいと思うからです。 (工学部)
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 延命治療が『無駄』かどうかは、慎重に考えるべき問題だと思います。 (コメント by 荒木)

・尊厳死を選べるいうのは、人間の権利として必要なことだろう。この前見たビデオのような被害を受けてしまったら特に、治る見込みも全くなく、生命維持には肉体的にも精神的にも大きな苦痛が強いられることが分かっている。そのことをしっかり理解した上で、生命維持を選ぶか尊厳死を選ぶかは本人や家族にまかされてもよいと思う。 (薬学部)
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 私も、『生命維持を選ぶか尊厳死を選ぶかは本人や家族にまかされてもよい』という気はします。しかしながら、それを法律で規制するかどうかは、また別の次元の問題かも知れません。 (コメント by 荒木)

・私は尊厳死という考え方は必要であると考える。「生かされている」状態に人の尊厳があるかどうかは人によって考え方はことなるが、リビング・ウィルによりその人の態度が明らかであるならば、尊厳死は否定できないと思う。しかしそこには条件が必要である。まず一つ患者は無意識であること。もし意識があるならばそれは自殺に他ならず、また意識がある人の尊厳死は認めないとすれば、患者が追い詰められるかこともない。二つ目は回復する見込みがないことがあげられる。仮に尊厳死が認められるとしてもこれら以外にもたくさんの条件が出てくることは間違いない。だが尊厳死の選択肢があるという事実だけでも、終末医療の在り方が良いほうに変化するのではないかと思う。 (薬学部)
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 よく考えていると思いました。 (コメント by 荒木)

・私は自分が植物状態や末期状態になって回復の見込みがないならば死にたい。ドナー登録のように意志があるうちに決めておいて、それが医師にわかるようにして、個人の自由で延命処置を続けるか、安楽死かを選べるようにした方がいいと思う。 (教育学部)

・私は尊厳死に賛成です。なぜなら,植物人間状態や機械で生かされてる人などは、人間として機能していると言い難いと思うからです。もしかしたら延命を続けることで,いつか回復する可能性もあるかもしれませんが、それが、家族に多大な負担をかけるようなら、止めるべきだと思います。 (工学部)

・私は尊厳死には賛成です。ふたつのホームページを見ましたが、法制化を阻止する会のトップページに「周りに迷惑かけずに自分で進んで早く死んでいくように」と書いてありますが、そういう訳ではないと思います。進んで早く死ぬとかそういったものではなく、自分の力で生きれる分だけ生きようとするのが尊厳死なのではないでしょうか。法制化するとかしないとかは難しい問題なのでよくわかりませんが、私個人としては死が確定している状態での延命治療は受けたくありません。生きているからには生きている実感を得たいです。尊厳死といった難しい名前がついていますが、生と死の問題は人間が今までで一番考えてきた問題です。しかし、これには答えはなく個人個人がどう考えるかだと思うので、この尊厳死の問題もこれから先ずっと議論され続けていくと思います。 (工学部)
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 『生と死の問題に答は無い』という意見ですが、その通りだと思います。確かに難しい問題ですが、自分だったらどうするか、自分の家族だったらどうするかを考えることはとても重要なことだと思います。 (コメント by 荒木)

・私は尊厳死について考えたことは、本人が死を受け入れるというのであればその意思は尊重されるべきことだと感じました。回復の見込まれるなら延命措置をして期待するのは意味があると思うが、もう後は死ぬだけの状態になってしまったら自分で決めたいと思いました。また、不自然な状態で生き続けるのはいいとは思わないので、法律化しないとそれができないならしていいと思います。 (工学部)

・私は、尊厳死についてはきっちりと法整備を行うべきであると考えます。
 もし自分が不治の病に侵され、助かる見込みもなく痛みしか味わえなくなった人間になってしまったとすれば、自分に残された最後の権利として尊厳死を選択したいと思うからです。
 「安楽死・尊厳死法制化を阻止する会」は「命ある限り精一杯生きぬくことが人間の本質であるという立場」をとっているようですが、果たしてそうでしょうか? 医学が完璧でない以上、いかなる手段を施しても治せない病、ただ痛みをとるためだけの薬を死ぬまで投与され続けなければならない病もあるはずです。そのような状況におかれたとき、果たしてどれほどの人が「命ある限り精一杯生きぬくこと」を選択するでしょうか・・・。無下に延命措置を施され続けることを拷問だと感じる人もいるかもしれません。
 私はこのような考えから、「延命措置により行き続ける権利」の他に「延命措置を止めることで苦痛を得ないうちに人生を全うする権利」としての尊厳死を法律によって認めるべきだと考えます。 (薬学部)

・私は尊厳死には賛成です。自分だったら人として生きたいと思うし、患者本人も「生かされている」というのはいやだと思います。日本では延命措置を途中ではずしてしまうのは殺人になってしまうけど、そこまでして生かされるのはどうかと思います。 (工学部)

・尊厳死ですが、私は賛成です。しかし、法制化を阻止する会の声明を読んでみると確かにと共感するところもありました。実際にその時にならないと判らない問題であるし、完全な答があるものではないのですが、自分が不治の病にかかり衰弱していく姿を周りに見せて死んでしまうよりはその前に自分の尊厳を持ったまま死にたいと思いました。 (工学部)

・尊厳死は本人の同意がなかった場合とても難しい事だと思います。しかし,生きていても自分がなく,家族に迷惑をかけてしまうような事を考えると尊厳死もありなのではないかと思います。 (文学部)

法制化に反対(5人)

・尊厳死は、人間らしい最後を送るために必要だ。と書かれていたが、実際本当にそうであるとは思えないため尊厳死を法制化する必要ないと思いました。 (工学部)

・私は尊厳死には反対である。尊厳死が一般化すると患者は「延命を試みることは経済的にも精神的にも家族を苦しめることになっている」と考えてしまい自分の生に理由をもてなくなってしまう。そうなると生きたいという意思がある患者までもが社会的重圧によって死を不本意ながら希望するようになりかねないからだ。病気で追い詰められた時に一人で自分の生に積極的になれるほど人間は強くはない。
 また尊厳死は解決することにあまり意味がない問題であり、賛成と反対の両論があることそのものに意味があると思う。この賛否両論の存在こそがきっと患者の自由な選択を支えるはずである。 (薬学部)
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 『病気で追い詰められた時に一人で自分の生に積極的になれるほど人間は強くはない』という言葉には説得力があります。また『賛否両論の存在こそがきっと患者の自由な選択を支えるはずである』という意見も重要だと思います。 (コメント by 荒木)

・私は尊厳死について反対です。尊厳死というのは殺人とほぼ同じようなものと思い、自殺を正当化しているかのように思えます。あるサイトに日本尊厳死協会は本人の意思に基づき死なせる事を法制化しようとしている。弱い立場の人々に自分で進んで早く死んでいくようにと働きかけているというのがありました。僕は一つしかない命をそう安易に絶やすべきではないと思います。 (工学部)
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 良く書けていると思います。「尊厳死」と「安楽死」を同じと考えるかまったく別と考えるかでも意見はいろいろあると思います。いろいろブログを見ていたら、『尊厳を保ちつつどのようにして早く死ぬかと思案するよりも、尊厳を保ちつつどこまで長く生きられるかと工夫する方がよいのではないか。尊厳死よりも尊厳生。』という意見がありました。私もこの考えに賛成です。(コメント by 荒木)

・私は回復も見込めず死期が迫るときに徒に延命治療を受けたいとは思わない。
 しかし阻止する会の主張も理解できる。たしかに尊厳死を本心では選びたくないのに選ばざるをえないように思いこんでしまう人がいるかもしれないし、思い込ませてしまう環境ができあがってしまうかもしれない。殊に日本人にはそういうメンタリティーの持ち主が多い気もする。
 ゆえに法制化の際には十分な議論が必要であろうし、医療スタッフの教育の徹底、専門の相談員の導入などが必要かもしれない。なにより怖いのは「尊厳死するのが当然」という社会的な風潮が出来上がってしまうことだ。あくまで選択肢の一つにすぎないということを国民全員が理解しなければならないと思う。 (医学部)
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 『なにより怖いのは「尊厳死するのが当然」という社会的な風潮が出来上がってしまうことだ。』という意見に賛成です。 (コメント by 荒木)

・私は、尊厳死にはあまり良いイメージを持てない。医療の発達とともに、延命治療も前よりも発達した今、一個の人格としての尊厳を保って死を迎えると言うことは信じられない。医療の発達とともに、私達は生きていかなければならないと考える。 (工学部)

どちらでもない(14人)

・私は二つのホームページを見て、尊厳死・安楽死は難しい問題であると感じました。以前の私だったら、尊厳死・安楽死には反対だと言っていたと思います。
しかし、前回の大内さんのビデオを見て、皮膚がなくなってしまったり…というような状態を自分や自分の家族であったら…と考えると、尊厳死・安楽死も必要なのかもしれないと感じました。 (教育学部)

・同じことを意味しますが、安楽死という言い方もあります。「尊厳を守る」というのと「楽にしてやる」というのとでは、随分と響きが違う感じがします。患者さん本人の個性によって何とでも言い様があるような気さえします。「名誉の死」「有終の美」など。尊厳死、安楽死、いずれにしても、患者さんの命を周囲の判断で奪うことになります。個人と、そしてそれを取りまく周囲の状況は千差万別です。判断の基準も全く異なるでしょう。そこを法律として一律的に定めようとするところに難しさがあります。
 ある機関を設立して、そこで可否を審理することが可能性としてはあるのではないでしょうか。医師だけに任せるという方法は、医師にあまりにも大きな権限を与えることになってしまうと考えます。 (医学部)
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 立派なレポートだと思います。 (コメント by 荒木)

・デリケートな問題なのではっきりとは言えませんが、もし私の身近な人が植物状態になったとしたら、私はただ生きていてほしいという思いから延命治療を望むでしょう。しかし、自分が延命治療をしなければならない状況になったら尊厳死を望むかもしれません。なぜなら、家族などの負担を軽くしてあげたいと思うからです。自分の命の最後をどう迎えるかについての考え方は、人によって違うと思います。だからこそ現在行われている「尊厳死の権利を主張して、延命治療の打ち切りを希望する」などといった意思表示をする、リビングウィルなどをもっと推進していくべきだと考えます。 (教育学部)
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 立派なレポートだと思います。自分だったらどうするか、自分の家族だったらどうするかを考えることはとても重要なことだと思います。 (コメント by 荒木)

・サイトに投稿してあった意見は賛成意見も反対意見もひとそれぞれで、自分もいずれ医療者としてこの課題に直面するはずだから自分自身の意見を今のうちに持っておくことが大事であると実感した。しかし、リビングウィルを提示できるサイトがあるというのは、こんな簡単にできるものなのだ、という点で驚かされた。それでも、やはりリビングウィルという行為を安易にはするものはいないだろう。自分が延命することを選ぶか、それとも自分らしさを保ったまま死ぬか、このような選択を安易に決めるようなことはあってはならないのだろうと考えさせられた。 (薬学部)
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 リビングウィルについては、日本尊厳死協会以外にも数多くのサイトが取り扱っています。行政書士の方が開設されているケースが多いようです。遺言書の一部という取扱だと思います。安易に行っているとは思いませんが。 (コメント by 荒木)

・私は尊厳死について賛成も反対もできません。賛成だとするなら人をより死に近づけてしまうし、反対すれば生命維持装置がなければ生きられない人やその家族を長い間苦しめてしまうかもしれないからです。どんなに医療が進んでもこれは難しい問題だと思います。 (工学部)
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 確かに難しい問題ですが、自分だったらどうするか、自分の家族だったらどうするかを考えることはとても重要なことだと思います。 (コメント by 荒木)

・尊厳死について考えることは非常に難しい。日本尊厳死協会と安楽死・尊厳死法制化を阻止する会、二つのホームページを見てみたけど、どちらも一理あってどちらがいいとは決めかねる。ただ、これからの医療の発展の可能性を考えると、尊厳死法制化は日本の医療・科学研究の妨げになりうることもあるかもしれないと思った。 (薬学部)

・「尊厳死」とは”長い病状経過で死に至る場合、死ぬ時までその人らしさのある良好なQOLを保って生きること”(医学書院 医学大辞典より抜粋)である。この理念は患者の基本的人権を考慮したものであり、妥当であると考えられる。しかし一方で、生命そのものの尊厳、つまり生きていること自体を尊ぶ風潮を軽視しはしまいかという危惧がある。現在法整備が進みつつあるが、ことは慎重に進めるべきで、国民の間で広く論議してコンセンサスを一致させる必要があると考える。 (医学部)

・私は患者の気持ちを優先するべきと思う。でも医療機器を使って延命したりってのは患者の家族に経済的な負担も大きいし、いろんな問題が絡んでしまうし、難しいです。でも医者が患者を切り捨てるのだけは許せない。 (教育学部)

・「日本尊厳死協会」、「安楽死・尊厳死法制化を阻止する会」の両方のホームページを見ました。
 今まで、尊厳死容認の側からしか見ていなかったことに気付きました。確かに尊厳死におけるリビング・ウィルは、死を迎えるにあたって、自分の意思を伝えられるものですが、単純に死に直面した時の意思ではないのだなぁと思いました。
 しかし、実際に病気になったりして死に直面している人がリビング・ウィルにより尊厳死を望むのであれば、それは尊重されるべきものであると思います。ですが、法制化に関してはまだ考えなければならない点がいっぱいあるのだなということを感じました。
 尊厳死について、いいも悪いも結論は出せませんが、医療従事者として、また、自分がリビング・ウィルを出す側としてどうしたいかということを、考えていかなければならないと思います。 (薬学部)
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 医療従事者としての責任感は重要だと思います。頑張って下さい。 (コメント by 荒木)

・延命治療は、本人にはひどい苦痛を伴うものであり、家族には、精神面、金銭面などでも大きな負担を与える 。私は本人の意思、また家族の意思や、その病気の治る見込みの薄さなどを検討した上で死を望むというのなら、尊厳死を認めてもよいと思う。しかし、中には延命治療をして、少しでも長く生きていたいと思う人もいるだろう。さまざまな人の考え方を認め、本人がが望む生き方、死のあり方を選べる世の中になってほしいと思う。 (工学部)
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 私も『さまざまな人の考え方を認め、本人が望む生き方、死のあり方を選べる世の中』になってほしいと思います。 (コメント by 荒木)

・余程の条件が重ならない限りは医師に訴訟のリスクがあるので、将来直面する機会があった場合幇助はしないつもりです。 (医学部)
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 確かに医師はつらい立場だと思います。 (コメント by 荒木)

・現在、医学界では小児科医や産婦人科医、救急医の不足が問題になっている。実際、救急車の中で病院をたらいまわしされた結果、死亡してしまったというニュースをここ数年の間に何件か聞いた。それを考えると、助かる見込みの薄い人達の中で希望する人の尊厳死を認めることで、救命救急や小児科などに対する支援を拡充させる余裕を作るべきなのではと考えてしまう。しかし、自分の家族や友人がその立場になった時、同じことが言える自信もまたない。理性と感情は対義語であることをあらためて痛感させられた。 (工学部)
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 敢えて書かれたのだと思いますが『助かる見込みの薄い人達の中で希望する人の尊厳死を認めることで、救命救急や小児科などに対する支援を拡充させる余裕を作るべきなのでは』という考えは危険ですね。大問題になっている年金制度・医療制度の改悪(だと私は思っています)に通じるところがあると思います。これが『理性』的だとは思いません。 (コメント by 荒木)
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確かに冷静に考えてみると、無理矢理な論理だったと反省しています。 (返信への返信)

・尊厳死とは延命治療をほどこさずに患者さんの死をゆっくりと待つことだとなんとなく思っています。
 私は自分がもし10%未満しか助かる見込みがないとき、尊厳死を選ぶだろうなと思います。しかし、実際に自分がそういった状況になったとき少ない可能性にかけてみる人は多いと聞くので、断言はできません。
ただ、辛い治療を続けて死んでしまうより、少ない余命をやり残したことをゆっくり考えなおして大切に過ごしたいという気持ちはきっと変わりません。まだまだ考える必要がありそうです。 (薬学部)

・尊厳死は本当に難しい問題だと思います。そのことについて考えるのはとても大切なことですが、自分としてはあまり他人と論じたくはない内容です。ただ一つだけ思うのは日本の憲法の柔軟性のなさは酷いものがあるということです。 (工学部)
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 『日本の憲法の柔軟性のなさは酷いものがある』と書かれていますが、想定されているのは日本国憲法三章国民の権利及び義務『すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする』のことでしょうか? どういうふうに酷いのか、もう少し補足して頂けるとありがたいです。よろしくお願いします。 (コメント by 荒木)


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