第7回遺伝子実験施設セミナー
遺伝子実験施設では、毎年テーマを決めて、「遺伝子実験施設セミナー」を開催しています。平成15年度のテーマは『タンパク質の修飾とその異常に基づく疾患』です。21世紀の生命科学はタンパク質の解析が中心になると予想されています。現在最も注目されているタンパク質の合成と分解のメカニズムの解明に関して世界をリードされている田中 啓二先生と岩坪 威先生にご講演をお願いしました。多数の方のご来聴を歓迎いたします。
日時;平成15年10月 7日(火)
16:00〜18:00
場所;熊本大学 生命資源研究・支援センター 遺伝子実験施設 6階 講義室(602)
テーマ;『タンパク質の修飾とその異常に基づく疾患』
講師および講演内容;
ワトソンとクリックがDNAの二重螺旋構造(ゲノムの実体)を明らかにしたのは、今から丁度50年前の1953年のことである。その同じ年に、細胞内のタンパク質分解に代謝エネルギーが必要であることが見い出された。当時の熱力学的な世界観からは生体の加水分解反応にエネルギーが消費されることは考えられないことであり、遺伝子からタンパク質合成という華やかな研究の展開に比較すると、それ以後のタンパク質分解の研究は、大きく停滞していた。しかし、約四半世紀前にユビキチン(タンパク質分解のマーカー分子)とプロテアソーム(真核生物のATP依存性プロテアーゼ複合体)が発見されると、事態は一変し、タンパク質分解の世界は未曾有の発展を遂げてきた。その結果、当初の予想に反してエネルギー依存性のタンパク質分解が生理的に非常に重要であり、生命科学の中枢を占める役割を担っていることが分かってきた。ゲノム(遺伝子)からタンパク質の合成に至るセントラルドグマの実証研究が20 世紀後半の生命科学の発展を支えてきたが、21世紀における中心はポストゲノムという言葉で象徴されるようにタンパク質の研究である。そしてタンパク質研究において最大の未知なる問題は、全てのタンパク質が数分から数ヶ月にという千差万別の寿命をもっていることである。ユビキチンとプロテアソームの研究が示した新しい概念は、タンパク質分解が多様な生体反応を迅速に,順序よく、一過的にかつ一方向に決定する合理的な手段であり、細胞周期・アポトーシス・代謝調節・免疫応答・シグナル伝達・転写制御・品質管理・ストレス応答・DNA修復など生命科学の様々な領域で中枢的な役割を果たしているということである。そして最近の研究からタンパク質の合成と分解のバランスが崩れると多くの重篤な病気が発症するということが明らかとなってきた。実際、癌・免疫疾患・神経変性疾患など21 世紀の高齢化社会において増加の一途を辿ることが予想される疾病の多くに、このユビキチンとプロテアソームに依存したタンパク質分解の異常が考えられている。逆に言えば、ユビキチンとプロテアソームが率いるタンパク質分解の研究の進展は、疾病からヒトの健康を守る要となる役割を果たすことになると思われる。
他方、外来性タンパク質や膜タンパク質の異化代謝には、これまでリソソーム/液胞系が中心的な役割を果たしていることが明らかにされてきたが、最近、オートファジー(自食作用)の分子論的研究が飛躍的に進展し、リソソーム/液胞系が細胞質成分の分解にも積極的に関与していることが判明してきた。中でもオートファジー応答の中核を占めるオートファゴソーム(自食胞)膜形成機構においてユビキチンシステムと類似のタンパク質(Apg8/12)をリガンドとしたライゲーションシステムが作動していることが判明し注目されている。興味深いことにオートファジーの破綻を示す形態学的な異常が神経・筋変性疾患など多数の疾病に観察されている。そこでApg8/12システムを条件的に破壊できるマウスを作製してオートファジー系の発動を阻止すると、肝臓などに大きな障碍が生じることが判明した。このことは、栄養飢餓に応答した生存戦略が唯一の役割と考えられていたオートファジーが高等生物では多様な生命活動に深く関与していることを示唆している。本講演では、ユビキチンとプロテアソームシステムに関する包括的な研究成果に加えてオートファジー系の生理機能についても併せて討議したい。
「参考書」
1)実験医学(臨時増刊号)”タンパク質分解の最前線2001ー注目のユビキチンプロテアソーム系とリソソーム/液胞系の分子機構と病態に迫る”2001年(Vol.19-No.2)(企画編集:田中啓二,大隅良典)
2)医薬ジャーナル・Medical Front Line“ユビキチン代謝系の破綻と疾病ー癌・免疫病から神経病までー” 38 S-2, 2002年(編集:田中啓二)
3)実験医学(特集号)“次々と解明されるユビキチンの多彩な役割ムタンパク質分解から細胞内輸送・局在の制御まで”2003 年 2 月号(企画:田中啓二)
アルツハイマー病(AD)脳で老人斑を形成するβアミロイドは40あるいは42個アミノ酸からなるAβペプチドから構成される。42個型のAβは40個型よりも凝集しやすく、AD発症に重要な役割を果たす。Aβは一回膜貫通型蛋白アミロイド前駆体(APP)から、2種類の蛋白分解酵素(セクレターゼ)により切り出される。この時細胞外側で最初に働くのがβセクレターゼ、次に膜内で切断するのがγセクレターゼである。
Aβのカルボキシ末端を切り出すγセクレターゼの実体は長らく不明だった。その解明の契機となったのはまれな家族性ADの病因遺伝子プレセニリン(PS)の発見であった。その後の研究から、8回膜貫通構造をもつPS蛋白はγセクレターゼの触媒サブユニットに一致することがわかった。変異が生じると蓄積性の高いAβ42の産生比率が増大し、ADが発症するらしい。家族性ADに関わるだけでなく、孤発性AD患者脳でβアミロイドが溜まる過程でも、PSは切断酵素として関与する。ところが、PS単独では切断活性を持たず、PSに結合する複数の蛋白質(コファクター)が必要と判明した。2002年までにPS以外に3種類のコファクター蛋白質が同定されたが、個別の機能は不明であった。
我々はPSと3種類のコファクター蛋白(ニカストリン:NCT、APH-1, PEN-2)がγセクレターゼを形成する過程について調べた(1)。まずRNA干渉法によりNCTあるいはAPH-1をノックダウンすると、γセクレターゼ作用をもつPSも同時に消失した。ところがPEN-2をノックダウンした場合にはPS、NCT、APH-1の3者が結合した不完全なγセクレターゼ複合体が蓄積した。逆にPSの存在下でNCTとAPH-1を過剰発現すると、同様に不完全な3者の複合体ができた。ここにPEN-2を加えると、はじめてγセクレターゼ活性が生じた。これらの結果から次のように結論された。(1)γセクレターゼの形成過程で、最初にAPH-1とNCTがPSに結合して中間体を形成し、最後にPEN-2が働いて活性型γセクレターゼが完成する。(2)γセクレターゼの基本骨格はPS、NCT、APH-1、PEN-2という4つの蛋白からなる。
γセクレターゼは、ADの発症に関わるだけではなく、細胞分化に重要な役割をもつNotch受容体の活性化にも必須の機能を果たす。このような正常機能を損なうことなくAβの切り出しだけを阻止する治療薬の開発が望まれる。
(1) Takasugi N et al. Nature 422:438-441, 2003
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