レポート第2回 回答集

熊本大学・遺伝子実験施設
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2002年 3月19日

平成13年度 生命科学G レポ−ト 第2回(2001年10月17日実施) 回答集

[ 質問 ]

今日見せたビデオ『東海村臨界事故 被ばく治療の記録』(NHK 平成13年5月13日放送)の感想を書いて下さい。

[ 回答 ](全18人)


・DNAが人体に対してどれだけの影響力をもつのかが分かる。自分はこうした遺伝子に危険を及ぼす文明の負の側面に対して批判的にもなりそうだ。実際、原子力の実用に対して批判的な人も多いだろう。
 しかし、少なくとも放射線による傷害は広島・長崎の原爆やチェルノブイリの原発事故などで人類が経験した症状であった。そして今回のビデオでそれらの例を生かした幾つかの治療法が試されたように今後も放射線被害による治療は遺伝子研究と連携して発展するだろう。我々はこうして危険なものを徐々に生活に取り入れようと努力している。
 確かに原子力発電は危険を伴う。今回のビデオはある意味でそうした文明に対する危険性を警告しているのかもしれない。だから、自分がビデオを見ているあいだは原発なんて止めてしまえとも思った。しかし、思い直すのだが、危険だからやめるというのは放射線の危険性についての解決なのだろうか。回避ではないだろうか。エネルギー問題は国によって異なるが原発なしでは自立不能の国もあるだろう、それらの国を無視して例えば国内の原発を禁止したとしても何の解決になるだろうか。人類にとっての放射線の脅威は依然として存在するではないか。
 このビデオを見て、単純に放射せんに恐怖し、その実用を止めるべく言うのは安直である。自分はむしろ原子力発電所をより安全にすべく研究を重ねていくことや、放射線による傷害をいかに治療するかを研究していくことの方が原子力というものに対しより現実的で前向きな態度であると思う。
 ビデオで特に印象的であると後になって思うのは医師達がいかにして治癒させるかを模索する場面で白血球の移植手術などが忘れられない。(文学部)

・死にゆく細胞が増えるなかで、心臓の細胞だけがきれいなままだったのを見て、絶望的な状態になっても、それでも必死に生きようとする生命の強さを痛感しました。放射能が人体、特に細胞や遺伝子に与える影響はとても大きく、今の医学ではどうにもならないのがとても悔しかったです。
 ところで、医者達は大内さんを人として生き伸びさせようとしていたのでしょうか、それとも、看護婦が言っていたように、ただのもの、肉塊として看ていたのでしょうか。延命治療というものの倫理的難しさがそこには存在していたと思います。(工学部)

・人間が単なる体という物体でしかないことになんか無性に悲しさを覚えた。そこにその人のすばらしい個性や優しい性格、強い意志、そして魂といった人らしさはない。全てが科学などによって明らかになるということは大いに好奇心をみたすとともに、少なからず落胆もする。大内さんだけにかぎらず人の生命ってなんだろうと感じさせられる。遺伝子である染色体が壊滅的に破壊されたことで、生きて、話もして、笑って、人を愛しもしているのに生命は決められたことにのっとって奪われていく。それは、まさに今から学ぼうとしている遺伝子からわかっていることである。まるで機械のように壊れていく。DNAが破壊されたら駄目になるというマニアルにしたがって、単なる体となって生きている。これが臨界事故だとか、医学の進歩はまだだとか、生かしつづけるのが酷だとか、病院の投薬の実験だとか、人間の作るものが恐ろしいとか、考えるべきことはたくさんあるのだろう。けれど、私は所詮DNAによって生かされている人間、というものをまのあたりにしたという事のほうにとらわれて仕方がない。人の命ってこんなものなのかと悲しくなる。どこもかしこも放射能により破壊されて、けれど心臓だけが生き残っていた。それが意志によるものとはどうしても思えない。もう意志なんてものでは放射能の前ではどうにもしようがない。体は死へしか進まず、生かすことが本当に正しいのかと他の人間が思っていて、生かすのは病院の身勝手だと思う人間がいる。そういう考えははたから見ている考えに過ぎない。そういうのではなくて、ただ生き残っていた心臓が愛しく感じられた。けれど、それが単なる臓器ということに気づくと、なんともやるせない気持ちに襲われた。(法学部)

・ビデオを見てから二日経ちましたがまだあの生々しさが忘れられません。また自分たちで責任を負いきれないようなものを生み出してしまう人間の力の怖さを強く感じました。私はこれまで原子力発電所が危険だということは知識としてあってもその恐ろしさというものがどこか遠くにありました。せっかく専門の授業で出てきたときも深く追求せず、紙の上の出来事で済ませてしまいました。あのビデオには原発の怖さだけでなく色々な問題が含まれていたと思います。医学の生命倫理の問題やずさんな管理体制であった発電所の許可をだした行政の問題と現在の原発法がはたして適切なのかということです。こういった問題をきちんと考えていくことが今まで原発事故の本当の事実を知らなかった私にできる精一杯のことだと思います。(法学部)

・原子力については、様々な分野の人が考えるべきものなのだ、と感じた。遺伝子と原子力と、それほど関係があるとは認識していなかった。染色体が、人間にとって、それほどまでに大事なものだということも、はじめて知った。染色体が人間を作っている、といっても間違いではないと思う。今までとは違った視点から、原子力の恐ろしさを知った。(工学部)

・私はあのビデオを見て、人間の出来ることには限界があるということを改めて思いました。いくら現代の医学が進歩してるとはいえ、放射線を大量に浴びたらどうしようもないのです。DNAによる治療を施しても、どうにもならず、日に日に症状が悪化していく様子を目の当たりにしていた家族の方たちは大変辛かっただろうと思いました。ただ、臨海が起こる可能性があったにもかかわらず、ほとんど危機管理をせずに作業をさせていたことは、大きな問題だと思います。もし、危機管理がしっかりしていたのなら、事故は起こらなかったのではないでしょうか。(教育学部)

・非常に印象深いビデオだった。上の人が管理を怠ったせいで、無実の人が被害をうけたということにとても腹が立った。国は被害者をどうにかして元の生活をさせようとは思っておらず、自分達の医療の力を世界に見せるために被害者を生かしているのだと思った。こんな悲しいことが二度とおきないように、これからより慎重に管理していって欲しい。(工学部)

・正直何と言っていいかわからない。ただ、この事件には、一人の尊い命が失われたこと以外にも重要なメッセージがこめられているような気がする。ずさんな原子力にたいする構成、命をいつ切るかという倫理的な面、医療・薬の技術など。しかし、もっと大事だと考えるのは、こんの事件そのものを忘れないことだと思う。そして、これからもずっと議論されるべきである。(工学部)

・放射能を浴びるということがどういうことかはある程度想像できたが実際にカラーの映像で見ると、その痛々しさが生々しく伝わってきた。ニュースで臨界事故を知った時、事故に遭われた人やその家族の方々には大変申し訳ないが、もう助からないであろうということ、一方で医療スタッフが途方にくれるであろうことも容易に想像できた。最も安全といわれた日本での臨界事故は、唯一の被爆国であったにも関わらず起きてしまい、残念でならない。
 ビデオの内容ではないが、感想を述べる学生の中に臨界事故のことを知らなかった、放射能を浴びること(被爆)の恐ろしさを知らなかったと言った事に、非常に驚いた。(薬学部)

・私は東海村の臨界事故についてはある程度知っていましたが、ビデオのような生々しい実態については知りませんでした。先生が言ったように本人が本当に治療を望んでいたのかは分からないですが、私でしたらもう助かる可能性がなく皮膚が剥がれ身体中がひどい痛みにおそわれどうしようもなくなった時点で死にたくなるような気がします。自分に残されているのはただ苦しみの中死んで行くということしかないのですから。
 また、この事件のように原子力エネルギ−のずさんな管理をしていることがあることに不安がつのりました。原子力エネルギーを今の段階で使わなくすることはおそらく無理なのでしょうが、できる限り危険性をなくしてもらいたいと思います。このような事件が再び起こらないよう願います。
 そして自分がこのような職業についた時は責任感を強く持って働こうと改めて思いました。(工学部)
・東海村の臨界事故の被爆者である大内さんが、被爆から二ヶ月あまりで亡くなったことは新聞やニュースで知っていた。日本の原発で起きたはじめての臨界事故というショッキングな出来事であり、またリアルタイムで起きた大事件でもあったので、当時はメディアにくぎ付けになっていた。
 しかし、大内さんや、他になくなられた作業員の方たちが、具体的にどのような症状を発症し、どのような治療を受けたのかということについて、その現実をまったく把握していなかったことを、今回のビデオを通して学んだ。
 ビデオを見てすぐに一番強く感じたのは、人の体が内側から壊れていくことの恐ろしさだった。放射線によって根本から破壊されていく人体のドキュメンタリーにふれて、何よりもまず怖いと思った。そして同時に思い出していたのは「病院で死ぬということ」という本のことだった。著者はホスピスをしている現役の医師で、現段階での日本の病院が、末期がんなどの病気を抱え、死に向かう終末医療を受ける患者さんにとって、いかに過酷な苦しみの場所であるのかということを、ある意味生々しく綴った手記である。その本で投げかけられていた、医療は誰のために為されるのか、医療の中心であるべきなのは患者であって医師ではないのではないか、という問いを、このドキュメンタリーによって再考させられた。
 また、現段階での原子力発電という産業が、見切り発車であり、直せない疾病を引き起こす科学をこうも安易に短絡的に利用することは、間違いではないかと思った。今人類が行っているのは、核のエネルギーの一次的な利用である。安全が机上の空論でしかないことも考え合わせると、いくら効率よく発電でき、産業として企業のためになるといっても、核施設清掃作業員の白血病発症、核廃棄物処理、核施設閉鎖の際の処理問題等、今の科学の力で核を利用しようとすることが早計であることは、誰の目にも明らかである。(薬学部)

・今回初めて東海村の臨界事故の医療の舞台裏を見ました。遺伝子が損傷を受けると細胞が新しくできなくなるため体がぼろぼろになっていくさまが本当に恐かったです。と同時に、私たちの体は絶えず生まれ変わっていることを実感しました。被爆者の白血球が生産されなくなったため、妹の血液を輸血しましたがそれも被爆者の血液に残留していた放射能に破壊されてしまい結局一時的な改善にしかならなかった時には本当になんといったらいいかわからない気持ちになりました。そして臨界事故の恐さを改めてしらされました。今回の被爆者治療においては最新の技術を用い、最大限の努力が払われたことはいうまでもありませんが、医療倫理面での観点から見るともっと考えるべき点がたくさんあったと思います。本来治療というものは人間のもつ自然治癒力を助けるというかんじで、薬を飲むにしても、手術をするにしても必ずどこかで自分自身のもつ治癒力が必要です。ところがそれ自身が被爆によってダメージを受けていたのに、むりやり生き長らえさせているようで本当にこれでいいのだろうかと思いました。でももし彼が自分の家族だったりしたら...と考えると少しでも長く生きていてほしいとも思うのです。とても難しい問題ですが、今回のビデオでいろいろなことを学べて、また考えることができてよかったと思います。(薬学部)

・人間は、人間の生活を楽にするために様々な環境破壊を、行っていると思います。この事件もその一端だと思います。人の身勝手さから生まれた悲劇としか言えません。おそらくコスト削減とかの理由で人にウランの処理をさせていたのだと思います。この事件で亡くなってしまった被害者の方々は、とてもいたたまれません。当時生きていた方は、現在医療のできる限りのことをされ亡くなって行きました。命が延びた分苦痛も延びたと思います。もう助からないと知りながら毎日あんなに大量の血を輸血してまで生かしておくべきだったのでしょうか?疑問が残ります。(工学部)

・ビデオを見た後は、ショックで何も考えることが出来ませんでした。会社の杜撰な管理体制によって命を奪われてしまい、大内さんもその家族も悔しさでいっぱいだと思いました。細胞レベルで人間を破壊していく放射線を作ったのが、同じ人間であるということがとても恐ろしく感じました。(教育学部)

・東海村臨界事故のビデオを見て、改めて原子力の怖さや、被爆ということに対する無惨さを思い知らされました。そして、現在の医療では被爆した人を、救うことができないことに無力感さえも感じられました。また、その被爆治療がいかに、患者に対して苦痛だっただろうかとも感じられました。そして何よりも、現在の原子力というものに対する管理の仕方にも疑問が浮かんできました。(工学部)
・私はこのビデオを見て初めて放射能の恐ろしさを知りました。私は恥ずかしながら東海村臨界事故のことは事故が起こったことしか知らなく内容は無知に近い状態でした。しかしこのビデオを見て事故発生のから分かりそして一番放射能を浴びた大内さんのことまで知ることが出来ました。放射能の進行は早く、医者たちが皮膚移植等の最善の努力を尽くしているにもかかわらず、病状は進行していき現代の医学でもかなわない病気と知ることが出来ました。本当に恐ろしいです。悲惨さを知り辛く悲しくなる一方良い勉強になったと思います。私自身現実から目を背けてはならない・・・21世紀秋の幕開けと同時に新たな一歩を踏み出したような気がします。(教育学部)

・高校の頃生物をやっていたので、紫外線によって遺伝子が破壊された場合、ビデオにもあったように「設計図を失ってしまった」ので、その生物は死を迎えるのみということは分かっていたので、最初の方は、「もう無理なのに」というふうな投げやりな感じで見ていましたが、ビデオを見ているうちに授業中にも言った通り大内さん本人とその家族、医療スタッフは何を支えに頑張っていたのか?いや、頑張れたのかが不思議でした。あれほど絶望的な状況で諦めなかった彼らは、とてもすごいと思います。また、最後の方に「心臓の細胞の遺伝子は破壊されずに残っていた」とありましたが、なぜ、あれだけずたずたに破壊されたはずの遺伝子が、心臓の遺伝子だけが無事だったのだろうと疑問に思いました。心臓のように、平滑筋で不随筋肉である筋肉は他にもあるはずです。「人間の遺伝子は解明されている現在でも、まだ、人体の不思議は山のように残っているのだな」と思いました。おそらく、放射能患者の治療のヒントはここに隠されていると思います。(理学部)

・これほど生々しいものを見たのは初めてでした。DNAが私たちの体に対して、どのような働きをしているかやそれが傷ついたり破壊されたときにどのようなことが起こるかということは理論的には分かっているつもりでしたが、実際に今回のようなビデオを見るとその恐ろしさを改めて実感しました。もし、DNAが破壊されたり、傷ついたりしてうまく細胞が複製されない場合に私たちは生命の危機にさらされるのです。
 また、放射線を浴びた患者に対する治療の仕方についても疑問が残りました。本当はもっと本人の意志や意見というものを聞くべきだったのではないでしょうか。もう助からないと分かっていながら苦しみの中機械に繋がれて生き延びるのは本当に本人が望んだことだったのか、一度心臓が停止した後の蘇生は必要なものだったのか。今日の医療では患者の「延命」に重きが置かれているのだという印象を強く受けました。(???)

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