レポート第3回 回答集

熊本大学・遺伝子実験施設
熊本市本荘2ー2ー1
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2002年 3月19日

平成13年度 生命科学G レポ−ト 第3回(2001年10月31日実施) 回答集

[ 質問 ]

あなたが、もしメンデルだったら、現代のバイオテクノロジーをどう思いますか?

[ 回答 ](全19人)


・バイオテクノロジーの発達が自分の見つけ出した遺伝の法則の延長であると感じられれば、喜ばしいと思う。それが社会に役立つ、または興味に答えるならば、やはり満足できるのではないか。しかし、一部の人間の営利目的での研究ならば、嘆き、後悔すると思う。(工学部)

・難しい質問です。でも、すごいなあと思うと思う。感動すると思う。自分の推察していた遺伝子という超ミクロの世界を、実際に目で見ることができるまできていることに、喜びと驚きを感じると思う。
 でも倫理的にはどうかと考えると、複雑です。今の科学の応用、つまり実践科学が向おうとしている方向については、意見があるかも知れない。(薬学部)

・もし自分がメンデルだったら現代のバイオテクノロジーにとても驚くと思います。と同時にクローンや遺伝子診断などから生じている倫理的問題に頭をかかえるかもしれません。もちろんバイオテクノロジーの発展により新たな治療の可能性が広まったのでそれについては喜ばしいことです。これには機械技術の発展が大きく関係していてメンデルがおこなっていた地道な作業よりもはるかにスピードアップしています。良くも悪くもいろんな方面に発展していてこれからもまたいろんな方面に広がっていくでしょう。でもこの新しい可能性に病気の治療を待っている人たちもいるのでこの技術をうまくつなげていってほしいと思います。(薬学部)

・僕はありえないことだが、もしメンデルが現代に現れるとすると現代の遺伝子技術を非難すると思う。なぜなら、彼はキリスト教徒であるからだ。
 メンデルがどの程度敬謙なキリスト教徒であるか、自分は知らない。しかしキリスト教の教義によれば万物は神が創造したことになっていて、ダーウィンが攻撃されたようにメンデルの生きた時代は、種に起こる変化はありえないとされた。
 しかも、メンデルのエンドウ豆の実験はそれを実証しうるのだ。エンドウ豆の実験は二つの対立する表現形のうち、どちらかを例外なく発現させ、無限に種の変化は起こらないかにみせる。したがって、この実験からエンドウ豆は神が与えた形質を代々変わることなく遺伝させていくのだ、というきわめてキリスト教的な結論も導けるのだ。この実験が当時のキリスト教徒達の反響を得られなかった理由の一つに、ダーウィンとは逆にこれが彼らにとって当たり前のことの実証に過ぎなかった、ということも考えられる。  メンデルは神に仕える牧師だ。これらのことから彼はキリスト教の考えに反するのではなくキリスト教の正しさと科学を結び付けて考えていたという仮定を持ちたい。そして、そのメンデルがもし現代の遺伝子技術、神に等しいまでに生物を操作しうる技術を知ったとしたら、時として神を冒涜しうるこれらの技術に対して間違いなく非難するであろう。もっともこれはメンデルが先に挙げた仮定の通りであるならば、だが。(文学部)

・現代の技術はメンデルがいたころと比べものにならないくらい発達したが、少しやりすぎだと思う。人が遺伝子を操作するいうことは、確かに興味深いことだが、やってはいけないことだと思う。これだけバイオテクノロジーが発達すると、これまでできなかったことが可能になるかもしれない。しかし、さまざまな不可能が可能になると同時に、自分自身の首を絞めているような気がする。今は、いろいろな技術が実験段階なのでまだいいだろうが、これからより高度なバイオテクノロジーが実用されていくと、これまで自然にはなかった生物が誕生するといった問題が起こりえるのではないだろうか。人間は神の域を越えてはならないと思う。(工学部)

・自分がもしメンデルだったら、自分の実験が、現代のバイオテクノロジー(遺伝子工学)の基礎を作り上げたことに対しては、すごいことを成し遂げたと思うだろう。しかし、現代のバイオテクノロジーのような発展をあまり望んではいないと思うだろう。なぜなら、遺伝子組換やクローンといった技術は、良い面もあるだろうが、環境や生態系を破壊してしまう可能性も持っていると思うからである。だから、現代のバイオテクノロジーが悪い方向へ進んでいかないことを願うと思う。(工学部)

・メンデルは、自分の実験が、今のような遺伝子学にまで発展するとは、おもっていなかっただろう。一つの豆から始まった実験が,いまや、人間の細胞にまで視野が広がっている。技術の発展については、賞賛するかもしれない。しかし、クローン羊やクローン猿など、ほぼ神の領域にまで人が操作していることを知ったら彼は、とても悲しむだろう。その実験は、技術の一人走りになっているからである。(工学部)

・バイオテクノロジーを知るためにこの授業を受けているので、どんなバイオテクノロジーがあって、どんな効果をもたらすのかよくはわからない。科学技術というものは利益が大きく、リスクも大きい。とくにバイオテクノロジーがそうだろう。ただ、リスクがあったとしても研究どころか開発さえもとめられない。メンデルの地道な研究のおかげで今日進める事のできている遺伝子研究。リスクを克服しようとして、その結果気づかないだけでもっと大きなリスクを生み出しているのではないか。メンデルはただその仕組みを知るために自然にさからわず、研究を続けた。今では新しいモノを生み出す研究へと変わっていて、その事のおそろしさをしることもバイオテクノロジーを学ぶということなのだろう。(法学部)

・私がもしメンデルだとしたら自分の実験からここまでバイオテクノロジーが大きくなったことを喜ぶと思います。でもそれと同時に今の一部の少し進みすぎてしまったテクノロジーに違和感を覚えると思います。メンデルはただ実験にだけ専念したのではなく、同時に修道士でもあったのでいわゆる「専門バカ」ではなかったんだと思います。でも、現代ではバイオテクノロジーの分野だけでなくあらゆる分野の学問の研究が専門化しすぎて学問の形が歪んでいるように思えます。もちろんバイオテクノロジーの進歩は私たちの生活を向上させてくれるものだと思いますが現代のバイオテクノロジーはなにか暴走している面があるように感じます。(法学部)

・私がメンデルだったら、現代のバイオテクノロジーは、あまりにも進歩し過ぎてしまったと思います。確かに研究が進んで新しい植物が誕生したり、ヒトゲノムの解読が進んだりしてはいますが、遺伝子によって生命を操作するなどという神のようなことが出来るようになったことは、大変恐ろしいことでもあると思います。(教育学部)

・自分の研究の結果が世界中で認められていることに、喜んでいるだろう。ただ、修道士という立場上、功利第一主義的な現代のバイオテクノロジーを取り巻く状況には少々辟易しているかも知れない。また、治療の一環とは言え、遺伝子治療が「ヒトの創造・改造」ともとれる方向へと向かっていることに、怒り、嘆いていることだろうと思う。(教育学部)

・現代において、遺伝子研究が様々な分野でさかん行われていることは、メンデルもうれしく思っていると思う。自分が研究していたものが後世に残っているという点においてはということだ。しかし、それが商品として悪用されかねないものであり、実際に行われているという点においては、残念に思っていることであろう。(教育学部)

・今ままでは、分からなかったヒトゲノムもすでに解析され、なんとその99%が猿と同じだったということです。一人一人のゲノムは一体何パーセーント同じ何だろう?と思いました。猿との違いが約1%なのだから、たぶん、同じ人間ならばその違いは、かなり微々たるものだと思います。ただ、その微々たるものの違いでこう多くのも違いが生まれるというのがとてもすごいと思いました。人間の神秘は、たとえ、ヒトゲノムを解析できるような現在の技術を持ってしても、まだ、人間が理解することはできないと思います。(理学部)

・私は最初先生が問題をだされたとき、正直難しい質問だなと思った。メンデルの気持ちはわからないが、私は今のバイオテクノロジーはすごいと思う。ただ、いい面もあるがその反面すごく恐ろしい面も持ち合わせていると思う。例えば、遺伝子を組換えられた作物は単純に考えると食糧難を救うための有力なものになるだろうが、それを食べることによる影響を考えると手放しで喜ぶことはできないし、私はそれらの食物を食べたくないと思う。しかし本当に食べるものがなくなったとき、私は遺伝子の組換えられた食べ物を口にしないと言い切れるだろうか? 現に今、食べるものがなく飢えている人たちは、それらの食べ物が目の前にあったらきっと食べるだろう。遺伝子組換の技術そのものは素晴らしいと思う。だからこれからはそれを文句無しにつかえるようにしていくべきだ。確かに今の技術はメンデルの時代よりずいぶん進歩したと思うが、まだまだ改善していくべきところはあると思う。遺伝子組換というすばらしい発見をそのまま発見で終わらせるのではなく、その発見を利用できるものにしていけたら、本当にメンデルの時代より進歩したと言えるのではないだろうか。(教育学部)

・私はやはり、メンデルであるとしたらまず何よりも倫理的な部分が気にかかるのでは、と思う。というのもメンデルはカトリックの修道僧であり、世の中に存在するものを細胞レベル迄分解していくようなことに、完全に割り切ることは出来ないのではないかと思うからだ。(文学部)

・わたしがもしメンデルだったら現代のバイオテクノロジーの発達に驚きとともに悲しみを覚えるでしょう。何故なら今の技術を使えばその人の個性や特性を変えることができるようになっているからです。病気の治療法として画期的であり素晴らしいと思います。しかし今にきっと顔の整形のように遺伝子の整形を行おうとすることがおきると思います。親から受け継いだ遺伝子をいじくって好きなように変えていくことはどこかもの悲しいですから。(工学部)

・まず、遺伝情報を解析する技術や機器の進歩に対する驚きがあるだろう。加えて、遺伝子やゲノムと言った遺伝情報が解明され、生命の仕組みが明らかにされていくこと、ことに疾病等が治療されていくことに関しては、好ましいことだとは思う。しかし、遺伝情報を一部の企業や国が特許として登録することや独占することに対しては疑問である。(薬学部)

・もし私がメンデルだったら…と想像するのは、簡単なようで実は非常に難しいことのように思う。それは、私達が日々の生活のなかで、様々な角度により少なからず目覚ましく進歩するバイオテクノロジーに接しているからであろう。メンデルは豆の観察によって遺伝の法則を発見したが、現在は遺伝子情報の配列と解読にまで研究が進んでいるのだから、当然ながらメンデルには到底想像のつかぬ世界であることは言うまでもない。メンデルは豆を観察したことにより遺伝という生命の不思議な法則に出会った。しかし、現代はどうであろうか。今、私達はバイオテクノロジーとして、生命の法則とする遺伝子を解き明かし、今度は逆に新たな人工的法則でもって生命に挑み問いかけようとしている。メンデルの研究とその産物は、生命のともすれば無限に続くであろう素晴らしき能力を知る感動的なものであった。一方、現在のバイオテクノロジーの在り様は善と悪といういわば両極端な二面性を持ち合わせている。遺伝子はともすれば人間の手によって容易に恐ろしき性質のものにも成り得、人類はその為自分たちの人体までもどのようにも作り得る力を握ってしまったのだ。しかし皮肉なことに、この目覚ましい発展には「一体何が安全で何が危険なのか」といった未だ定かにならぬ極めて不明瞭な論点がつきまとうこととなる。この予想だにしなかった恐ろしい負の威力の存在に、メンデルは恐れ慄くのではなかろうか。生命の謎を追う人類から生命を操る人類へ…。しかし、完全なる謎の解明はあり得ない。かくして謎はその二面性でもって新たな謎を人類に投げかけるのである。解き解けば解き解くほど深まる生命の未知なる謎に、メンデルは思わず感嘆の声を上げるに違いない。(文学部)

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