レポート第9回 回答集

熊本大学・遺伝子実験施設
熊本市本荘2ー2ー1
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2002年 3月19日

平成13年度 生命科学G レポ−ト 第9回(2001年12月19日実施) 回答集

[ 質問 ]

人は誰でも10個以上の遺伝病の保因者であるという事を知って、どう思いましたか?

[ 回答 ](22人)


・異常遺伝子はだれでも十個以上も持っているなんて知りませんでした。遺伝性の病気は誰でも発病しえたということになります。他人事にはおもえません。遺伝子治療は発展させるべきだと思う。(工学部)

・異常な遺伝子がない方が良いが、遺伝子突然変異の起こる確率もゼロではないし(オゾンホールの拡大で紫外線の照射量が増え、突然変異は起こりやすくなるし)、遺伝病も存在するので、遺伝子に異常がない状態でいることはあり得ないことだと思っていた。何かしら特定の病気になりやすい体質というのはあるので、自分が遺伝子に異常を持っているということを知っても特に驚かなかった。むしろ、遺伝子の診断や治療といった分野での方法が早く確立されて、その対策に取り組めるように努力したいと思っている。(薬学部)

・この話の最初の方は、自分には無関係な事のように思っていました。だから自分も10個以上の遺伝病の保因者であるということを聞いてとても驚きました。自分の親類がどのような病気にかかっているかなどほとんど知らないので、ますます恐く感じました。(教育学部)

・誰でも10個以上の遺伝病の保因者であるときいて正直驚きましたけど、それはみんなもっているのならば諦めもつくし、それが発病するのかしないのかはまだわからないし、もし発病したのならばそれが運命だと思うしかないと思いました。自分の人生一度きりなので、その遺伝病と戦いながら、楽しく生きて行こうと思います。前向きに行くべきだと思います。(教育学部)

・けっこうショックを受けた。今まで自分の体は正常だと思っていたが、自分が発病する可能性もあるのだからとても恐くなった。実際私もそうなのだが、世の中の多くの人は遺伝病について正しい知識を持っておらず、また知ろうとも思っていない。それは自分が健康だと思っているからだと思う。しかし、自分も10個以上の遺伝病の保因者であると知ればその考え方も変わると思う。こうなれば、病人に対する差別や偏見もなくなるのではないだろうか。(工学部)

・まさか自分が何らかの遺伝病を持っているなんて知らなかったので、少し驚いた。ただ、だからといって、何にかかっているか分からないのし、今まで大丈夫だったので、大丈夫だろうと思っている。(理学部)

・正直ショックを受け、恐怖も感じたが、それを知ったことで生きていくことの難しさ、そして生きていることの素晴らしさを感じた。(工学部)

・人が皆10個以上の変異遺伝子を持っていることを知ったとき、自分自身も遺伝病にかかる可能性があることに正直驚いた。私は変異遺伝子は突然変異によって現われるもので、決して健康な人はもちろん持っていないと思っていたからです。この変異遺伝子があるから人によって糖尿病になりやすい体質であったりするといったことを言っていて、個人の体質にも影響を与えたりしていることにも驚きました。(工学部)

・人が誰でも10個以上の遺伝病の保因者であっても、私たちにはどうすることもできないと思います。ただ、それを知ったことで、少しは自分たちの健康に気を使うようになるとは思います。例えば、無茶な飲み食いをやめるとか、タバコや酒をやめるとか…みんながそう思うとは思えませんが。(教育学部)

・私は、人は誰でも10個以上の遺伝病の保因者であると知って、非常に驚きました。また、各個人でそれぞれ異なった異常遺伝子を持っているため、種々の病気に対する感受性が異なり、ある人は糖尿病になりやすいし、別の人は高血圧になりやすいなどというように、遺伝病が自分にとって身近な病気だと実感し、気をつけなければならないと改めて思いました。(工学部)

・10人に1人が遺伝病を持ってるとしたら、その遺伝病の病状によってはすごく怖いことだと思います。遺伝病を持っていても発病しなかったり潜伏したまま一生を過ごすことが出来るとすごく幸せなことだと思います。もし、10人に1人が持っている遺伝病が遺伝性の癌などの致死率が高い病気だとすると医学の発展がいくら著しいものであったとしてもいずれは人類が滅亡するような気がします。しかもこの確率が実際生活している私達が想像することが全く出来ない驚くべき確率であるため余計に身にしみて感じられます。(理学部)

・人は誰でも遺伝病を潜在させている。それはこれを発症させる人にとってどれほどの意味があるだろうか。また、発症させない人にとってどれだけの意味があるのだろうか。誰もが持っているからといって、発症させた人に対する態度は変わらない、すべての人に言えることだがハンディキャップに対しては助け合って生きようだろうし、健康に生まれたことは喜ぶだろう。遺伝病にかかわらず、人は目が悪ければメガネをかけるように、足が悪ければ車椅子に乗るように、ハンディキャップを改善していくのだ。ただ、多くは遺伝病というしきりにもれる些細な障害であるだけで、いまさらだが人は誰でも身体に何らかの問題を生まれながらにして抱えている、これは当たり前のことなのだ。逆に、そうでない完璧な体なんて空想に過ぎないと思う。だから、多少乱暴に聞こえるかもしれないが誰でも遺伝病の保因者である、という事実はそれ自体衝撃的ではあっても、我々に何の意味も成さないのである。  しかし、この考えは自分が意味を見つけられなかったからに過ぎず、したがって不安がある。もし出来れば何かしらの意味を見つけたいのだが。(文学部)

・人間はみな10個以上の異常遺伝子を持つと知り、他の人はどうかしりませんが自分は最初驚きましたが、そのあと妙にすんなりと受けとめました。それは人間はそんなに完全なものではないと思っていました。しかし、よくよく考えてみると、異常なものが自分の中にあるということがなんだかすごく嫌なものに思えてきました。これは僕ができるうる限り完璧な人間になりたいと心の中で思っているからかもしれません。個性が大事だと一方では思っているのですけれど…。個性が大事だという考えをもっと強くもとうと思いました。(工学部)

・誰でも異常な遺伝子を持っているということに関しては、そのことを授業で知る前から予測できていたことなので別にどうということもありませんでした。かなり多くの遺伝子情報が人の体にはあるのですから、コピーする際におかしな遺伝子が生まれても仕方ないと思っていました。それよりも逆に授業で示された数よりももっとずっと多いのではないかと思っていましたので、どちらかといえば少なさに拍子抜けしました。病とはいえない身体の変調も環境だけでなく遺伝子の仕業かもしれないと考えると、人の顔が千差万別ある様にちょっとした異常遺伝子の影響も多種多様にあるのではないでしょうか。遺伝性疾患と呼ばれるものはどれも重い病です。遺伝性疾患なのかはっきり分からない病もあるといいます。他の科目はできるのにたった一つの科目が全くできないという病があると新聞で読みました。原因は環境というわけではないようなのです。もともと語学を理解するとか、数式を書くとか、目読するとかいった当たり前すぎて普通はできることを気にしたりしないようなレベルのことをする能力がたった一つ欠けているというものです。病と呼ぶわけにもいかないものです。他にもアトピーなどありますが、相対的に普通と呼べる状態とやむを得なく違ってしまう状態が出てしまうのは異常遺伝子の影響もあるのではと考えてしまうのです。(法学部)

・自分がもともとあれほどたくさんの病気を持っている、ということは、正直に言って、ショックだった。私は健康だから大丈夫、などという軽いことは、今後口にすることはできない。人間はみな、爆発寸前の爆弾を持ち歩いているようなものだと思った。しかし、それでも大半の人は、そのことを特別気に止めなくても、普通に生活できる。人間の体はすごいなぁ、と感心させられた。(工学部)

・殆どの人が、他ならぬ自分自身までもが遺伝病の保因者であるということに関しては、正直な話私はあまり驚きを感じていない。それというのも、例えば親が癌で死ぬとその子供が三人いた場合一人は癌に冒されるという類の話をよく聞くからだ。実際、私の祖父は癌で亡くなり、その子である三人兄弟の長女である母も癌でなくなっている。だから、遺伝病の「保因者である」ということだけをみるのならば、さほどの恐怖はないのだろう。むしろ怖いのは、遺伝病が実際に発病してしまうよう、遺伝子が突然変異を起こしてしまっている場合を考えたときだ。(文学部)

・まず、異常遺伝子という名前に違和感を感じる。「異常」ではなく、「原因」の方が適切ではないのだろうか。(本当にその遺伝子が「原因」であればだが。)数が多いか少ないかで考えれば、驚くほど少ないと言える。ゆえに、一人一人にとっては、遺伝子「異常」に起因する病気は、生活習慣に起因する病気に比べればそれほど多くないと言えるのではないだろうか。しかし、異常遺伝子が原因である病気に対して、あらゆる危険性を考慮したうえで遺伝子治療で解決することが可能な場合は、ぜひともその開発、実施を推進するべきであると思う。人間は病気になって学ぶことも多いと思うが、やはりできることなら避けたいものである。その意味でも、遺伝子治療の開発と共に、遺伝子の「異常」が差別の対象となるような、社会的意味を持たないように、法的、倫理的にもコンセンサスを形成していく必要があると考える。(教育学部)

・少し驚いた。しかし、遺伝子疾患というのは特別なことではなくて、遺伝子で決定される生き物である限り、避けられない、うまく付き合っていくべき存在なのだとも、実感した。(薬学部)

・初めて自分も遺伝病の保因者であるということを考えました。あまり身近な病気だとは考えたことがありませんでしたが、今のままでは対策をとるのは難しいと思います。だから私たちは、残る環境的要因に関してもっと注意を払っていく必要があると思いました。(薬学部)

・一人につき10個は異常遺伝子を持っているという事はとても驚いた。自分の体にも10個もの異常遺伝子が存在すると思うととても恐ろしい。しかも何らかの異常遺伝子に基ずく疾患は、少なくとも3,000種類以上あると考えられている。それを考えると病気は身近なものなのかと思った。しかし、前向きに考えると遺伝子を解析する事でこれらの疾患への対策に希望が持てるのではないかと思う。(文学部)

・人は誰でも10個以上の遺伝病の保因者であるということを知ってはじめは驚いたが、よく考えてみると意外とすくないのではないかと思った。遺伝病がどこまでの範囲の病気を指すかはわからないが、難しい病気ではなくても日常のなかのこまごまとした小さな症状や病気のなかにも遺伝子が原因のものがあると考えれば10個は少ない数字だと思った。(法学部)

・遺伝病というものは、自分には全く関係ないものだと思っていた。実際に自分が10個以上の遺伝病の保因者であると聞いてもピンと来ない。10個という数は意外と少ないのだと思った。遺伝病が全部でどれくらいあるのかは分からないが、遺伝病の子供が生まれてくるには、まず自分と同じ病気を保因している相手に出会って、そこからさらに両者から異常な遺伝子が遺伝されなければならないので、すごい偶然だと思った。(薬学部)

私は健康にかけては自信があったので、正直自分が10個以上の遺伝病の保因者であるとはしんじられませんでした。驚きや不安もあるけど、とりあえず今は元気に生活しているし、これからもうまくつきあっていけたらなと思いました。(教育学部)

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