2005年度 レポート第2回 回答集

熊本大学
生命資源研究・支援センター
バイオ情報分野
荒木 正健
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2006年 5月23日更新

2005年度 最前線の生命科学C レポ−ト第2回(2005年10月19日実施)回答集

[ テーマ ]『被ばく治療83日間の記録 〜東海村臨界事故〜』 を見て考えたこと』

[ 回答 ](25人)

・以前に、チェルノブイリ原発事故の爪あとをカメラで追った写真集を読んだことがあります。放射線で汚染された土地で暮らし、死ぬんだと言い切るお年寄り達の笑顔や、逃げたその当時のままになっている家の玄関に落ちていた人形の表情が、今でも脳裏に焼きついています。この二つはどのように扱われているのだろうと思い、気になって高校の公民の教科書や、中学校の公民の資料集などを読み返しました。そこで気付いたのは、チェルノブイリ事故は大々的に掲載されているのに対し、東海村の臨海事故については一行のみ、または全く触れられていないものがあったのです。事故のレベルに大きな差があるのは確かですが、犠牲者の苦しみに、一体どんな違いがあるでしょうか。
 今、こうしてビデオ視聴時のメモを読み返しているだけで、胸が痛み、とても深い悲しみが襲ってきます。ずさんなウラン管理、しかもそれが政府の指示によるものであり、苦しんでいる当の本人は何も知らないまま将来を奪われたこと。ただ「生きて、頑張って」と叫ぶ家族の姿。滅び行く肉の塊と化した大内さんを目の前に、頭を抱える医師や看護師達の葛藤と苦悩。そして、果たして大内さんを生かした事は、果たして良かったのかどうか、という疑問。様々な課題を突きつけられ、一視聴者の私でさえ、とても複雑な気持ちにならざるを得なませんでした。 (文学部)

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 公民の教科書や資料集に、東海村の臨界事故(臨海事故ではありません)の話が出ていないというのは知りませんでしたが、そうだろうなと思います。ただし、「ずさんなウラン管理」が政府の指示でされていた訳ではありません。むしろ、政府の指示が無かったと言うべきでしょう。電力会社等に関しては、当時も基本的に十分管理されていたのでしょうが、その下請け業者に関しては、不十分だった様です。今は改善されているはずですが・・・ (コメント by 荒木)

・放射線を浴びることが死につながることは、以前から知っていました。でも、人間の細胞を死滅させ、皮膚や胃・腸の粘膜を破壊していくようなプロセスは初めて知りました。そしてそれにより、改めて放射線の恐ろしさを感じました。今日の私たちの生活に原発は欠かせないものであるため、長崎や広島での原爆のように過去のものとして、捉らえられないと思いました。また、大内さんは、日に日に身体が蝕まれていくのを感じて、どのような気持ちで治療を受けていたのでしょうか。回復する見込みがない中、激痛に堪え、生き続けたことは、大内さんの意思にそっていたのでしょうか。もし、私が大内さんの立場だったら、きっと早く楽にして欲しいと望むと思います。でも、家族の立場だったら…と思うと、一概に家族や医師団に批判的な目を向けることはできません。医療技術が発展している今日では、この様な状況はますます増えていくだろうと思います。 今回のこのビデオは、様々な論点を含んでおり、考えさせられる部分が多くあると思いました。 (法学部)

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 『今日の私たちの生活に原発は欠かせないものであるため、長崎や広島での原爆のように過去のものとして、捉らえられない』というのは、その通りだと思います。しかしながら、長崎や広島での原爆についても、過去のこととして済ませるのではなく、核兵器による汚染は今すぐにでも身近に起こりうる脅威だと認識してください。 (コメント by 荒木)

・わたしは、東海村臨界事故というのは言葉は知っていたが実際の内容はぜんぜん知らなかったのだが、今回このビデオを見てこんな恐ろしいことが起きてたなんてとても驚いた。放射線を浴びただけで、人間にとって一番大切な染色体がバラバラになるなんて・・・。遺伝子の異常で白血球は減少するし、新しい皮膚はできないし、下痢は1日3?も出て、腸の中からは出血するという痛々しい状況で生きたというよりはあの手この手を使って生きさせていたという風に私の目に映った。わたしが最も怒りを覚えたのは、こんな現実を日本政府は隠そうとしたということだ。被爆した人や家族はすごく苦しんだのにそれを隠すなんてとんでもないことだと思った。人間は便利さを追求しすぎてもう自分たちの手に負えない領域まで踏み込んでいるのではと今回このビデオを見て感じた。大きなリスクを追ってまで今の生活以上のことを求める必要はないと思う。そして、この東海村臨界事故という事実を私たちの子孫にもしっかり伝えていかなければならないと思った。 (医学部)

・このビデオは、大量の放射線を浴びることが、生物にとってどんなに恐ろしく危険であるかを教えてくれた。皮膚が再生できなくなるなど、想像もつかないようなことが体に起こっていた。実家から少し離れた場所に原子力発電所がある。もちろん何重にもわたって安全に稼動させるための仕組みがあるとは思うが、それでも事故が起こらないか心配になった。 (工学部)

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 不安をあおる訳ではありませんが、近所に原子力発電所があるのであれば、実際に見学し、いろんな事故のニュースに関して、ここは大丈夫ですかと質問することも必要だと思います。 (コメント by 荒木)

・例えばひとつの新しい命が誕生したとき、例えば深刻な病から誰かが奇跡的に回復したとき、僕たちはしばしば『生命の神秘』ということばを用いる。
 もはや使い古されたと言ってもいいこのおきまりの表現。
 けれど、実際に我が子を産んだばかりの母親であったり、死の淵から何かしらの不思議な力によって生の世界へと引き戻された人たちにとって、このことばはより切実に胸に響くのではないだろうか。そしてさらに言えば、そのような強烈な「生を意識する体験」をしたことがない人たち(僕を含む)も、「いのち」に対する計り知れない不可思議と畏敬の念は、程度の差こそあれ感じ取っているのではないだろうか。
 今回の授業で観たビデオは、「いのち」に対するそのような不可思議と畏敬の念を一瞬のうちに完膚なきまでに吹き飛ばす内容だった。
 「いのち」はもはや「染色体」という言葉に置き換えられ、「染色体」は得体の知れない「放射線」という名の悪魔に破壊され続けていた。現代医学でさえもその破壊活動を食い止めることはできず、被ばく者である大内さんは文字通り崩れ落ちるようにして最期の日を迎えていた。
 この臨界事故は、核燃料工場の作業体制の杜撰さと、事故後の政府の対応の愚鈍さを浮き彫りにすることとなったのだけれど、授業を終えた後の僕の心をさまよい続けたのは、そのような杜撰さや愚鈍さではなく、大内さんの心臓だった。放射線の執拗で強力な攻撃を受けながらも、体内で唯一細胞を破壊されることなく、最後の最後まで鼓動を刻み続けた心臓が、僕たちに向かって何かを訴えているように思えたのだ。
 しばらく思いを巡らせているうちに、僕はふと「心臓」という漢字が「心の臓器」を意味することに気づいた。とたんに胸がざわつき始めた。神秘的な何かに触れたような気がしたのだ。
 もしかすると、心臓は大内さんの声にならない声を伝えようとしていたのかもしれない。 (文学部)

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 素晴らしいレポートだと思います。読み終わって、思わず涙が出てきました。心筋細胞だけがダメージを受けていなかった理由は、今も謎のままだと思います。その理由が何であれ、私たちに何かを訴えていることは間違いないと思います。 (コメント by 荒木)

・「被爆」という言葉を聞くと、原爆のことを想像してしまいますが、人の生活の役に立つはずの発電施設でこのような事故が起こったことはとても悲しいことだと思いました。最先端の技術による事故の被害者を、最先端の医療では治療できなかったことは人間の限界を示しているのではないかと思います。私たち人間は、便利な技術が同時に恐ろしいものを作り出しているということを理解しなければならないのではないでしょうか。 (法学部)

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 原爆だけでなく、イラクでも使用された『劣化ウラン弾』の問題なども重要です。恐ろしい物と分かっていながら、だからこそ使用するという人間が、今の世の中を動かしているという現実が悲しいです。 (コメント by 荒木)

・一人の死人を出さないと国が動き出さないなんて人間の怠慢さに怒りを感じました。同時に、人は予測する能力を持っているけれど、何か不都合が生じてからでないと動こうとしない傾向があることは自分の実生活のなかでも感じることで、情けなく思いました。
 放射線によって染色体がバラバラになり細胞が死んでいき、それによって様々な機能が低下していく様子を見て、放射線の威力を改めて感じました。また、体内の仕組みが分かり、自分の体が異常もなく働いていることはとてもすごいことで、ありがたいことだと感じました。
 最後に、先生の話の中で技術自体に問題があるのではなく、使い方が大切、という考えに対しての意見です。色々な技術のおかげで私たちはとても便利な生活ができますが、その反面、様々な良くないことも生じています。生み出された時点でもう使い方で制御できないものもあるかもしれません。失われているものもあるはずです。それが目に見えるものならまだしも、知らず知らずに失われているものも多いのではないでしょうか。より快適な生活のために、また困っている人のために、探究心のために研究が進み、開発されていくことはとても意義のあることだと思います。進歩も必要なはずです。ただ、娯楽でしかないものや人を楽させるようなものがどんどん生み出されていく今の世の中で、失われていくものを考えると本当にそこまで人間には進歩が必要なのだろうかと感じてしまいます。技術等に関しては様々な利害が生じてくると思いますし、結局どうすべきかは分かりませんが、(文系の、今の生活に満足な)私はこのままいくと‥という危機意識やもう十分、という気持ちが今は強いです。 (教育学部)

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 『人は予測する能力を持っているけれど、何か不都合が生じてからでないと動こうとしない傾向がある』というのは、私にとっても耳の痛い言葉ですが、事実だと思います。また、私自身、科学技術の急速な進歩に不安を感じています。だからこそ、科学者は、新しい技術や知識を一般の人たちに説明する義務があると考えています。 (コメント by 荒木)

・人間をとてもミクロな見方をした時に、遺伝子がいかに重要であるかが分かりました。正直、今までは小さすぎるせいなのか、自分の中に遺伝子があると知っていながらも、目に見えることはないためあまり実感していなかったんです。だからそれが壊れたらどうなる、とか全く想像がてきず、今回このビデオを見て、そんな自分の危機感の無さに呆れてしまいました。放射能に関しては賛否両論あると思います。暮らしを豊かにする反面、とてつもない危険性をはらんでいる。α崩壊やβ崩壊など理論上の現象は知っていても、それがどう人体に害をなすのかは全く理解していませんでした。改めて放射能の恐ろしさを実感しました。 (理学部)

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 講義中にも話しましたが、このビデオは『生きていくために遺伝子がいかに重要であるか』を知るための大変すばらしい教材だと思います。一人でも多くの人に見てもらいたい番組です。 NHKの再放送を強く望みます。 (コメント by 荒木)

・今回の講義では放射能の被爆について学びました。自分の出身が長崎なので、被爆の症状については教えてもらえることが多かったのですが、細胞の機能を停止させて症状が起こることは初めて知りました。
 原発はいまや欠かすことのできないエネルギー源です。なので、被爆の問題は決して無視できることではありませんし、その治療法ももちろん作り上げていく必要があります。それには細胞、さらにはそれよりも細かい所を覗き操作する技術の必要性を感じずにはいられません。
 今回は、そういった意味で新しい側面を見れたと思います。 (工学部)

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 放射能の被爆による障害には、生殖系列細胞への影響も含まれます。即ち、大内さんの様に大量の放射能を浴びなくても、本人は健康そのものに見えても、その被爆の影響が子供に現れる危険性が残っています。 (コメント by 荒木)

・東海村臨海事故のビデオを見て、原子力の扱いの危険さ、その怖さが痛感できた。危険物の扱いにはきちんとしたマニュアルが必要不可欠で、非常事態時の対応もとても必要です。ただ、この事故当時の対応の仕方には問題があると感じました。対応マニュアルが、充分なものだったのか、担当の社員が原子力についての知識が充分だったのかが疑問に思いました。近年決められた事をデシタル化されたようにこなす人が多くなっていると思います。それでもいい職種は本当はかなり少ないはずです。ましてや原子力のような危険なものを扱うとなれば、多くの知識と判断、決断力が必要だと思います。
 大内さんのように遺伝子レベルで障害が起きてしまっては今の時点では到底完治する治療は無理です。DNAの研究が進めば、または作業を完全ロボット化にすればどうにか対応はできるかもしれません。それには限界があるかもしれませんが。いずれにせよあのような事故で様々なひと、家族が悲しむのは見るに見かねることでした。もう二度とあのような事故を起こさないことがせめてもの供養になるはずです。 (工学部)

・原発というのは、高効率で電力を供給できる大きな利便性と同時に、人命をたやすく奪うことのできる巨大なリスクも抱えています。資源や経済的な問題から近年、もっと原発の数を増やすべきだという声もあがっていますが、今回の大内さんの被爆はひとつの問題提起となり、将来への糧となったように思えます。私は工学部の人間ですが、技術というのはまず安全性を確保した上で、研究により発展させ実用化していくことが、大前提ではないだろうかと改めて考えさせられました。 (工学部)

・東海村で臨界事故が起こったことは知っていたけれども今回のビデオのようなことがあっていたのは知らなかった。DNAを破壊されると新しい細胞ができなくなるということから放射線の恐ろしさを知ったし、DNAの重要性を改めて思い知った。また被ばく治療では日本は最先端であるにもかかわらず助けることができなかったということは今の時点で原子力発電所などを持っているというのは爆弾を抱えてるようなものではないかなとも思った。 (理学部)

・放射能を浴びることの恐ろしさを、ビデオを見ることにより本当の意味で理解ができたと思います。今までは、ただ漠然と「怖いもの」という認識しかなかった気がします。しかし今は放射能に対して、勿論恐怖もありますが、新たに不気味さも感じました。それは、生きている者(物)の体をただの肉の塊にしてしまうし、内から作り替えられることもあるからです。
 傷ついた細胞は後は死ぬだけ。分裂して新しい命を創ることなく、腐っていくだけです。生きながらにして、体を形作る肉が朽ちていくのはどんな痛みなのか、私では想像がつきません。そのことに関係したことですが、ビデオを見て特に印象深かったのは、皮膚が死んで剥がれていき、体の水分や血液が染み出してくる、というところでした。…皮膚の重要さを今更ながらに感じました。
 また、病院の人達も懸命に命を長らえさせようと頑張ったんだな…と思いました。しかし、もしも自分や自分の家族などに同じことが起こったとしたら、生命の定めに従い、死を受け入れると思います。痛い思いをして機械と薬に頼りながら、果ては自分が何なのかもわからなくなって長らえたくはありません。また、家族がどんどん肉の塊になっていく様は、きっと私は直視できないと思います。
 人間は新しいものをどんどんつくります。便利さの追求のために。しかし、それによって起こる事故に対応する技術がついていってないのが悲しい事実です。人間は頭はいいくせに「賢く」ない、困った生き物だと思います。 (文学部)

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 立派なレポートだと思います。『人間は頭はいいくせに「賢く」ない、困った生き物だ』という意見に同感です。 (コメント by 荒木)

・高校時代に生物の授業で同じ番組をみたのだが、その時とはまた違った印象を受けた。
 高校時代は、大内さんを助けられなかった医療技術の無力さを痛感し、また、何故このような事件が起こってしまったのかと、事件の起こした会社に対して怒りを感じた。しかし、今の私は、大内さんが生きていたというよりも(常識を越えて)生かされていたのをみて、政府のずるい意図に対して怒りを感じ、また、大内さんをかわいそうだと思った。事件が起こって、大内さんがしゃべることができなくなるまでには期間があったが、大内さん自身がどの程度延命治療を望んでいたのかの確認をしたのか疑問である。
 授業を通して、DNAが生物に対して非常に重要な物質だと改めて感じた。専門の講義で学んでいる教科書の中ではなく、DNAを失った人間個体が表面にどのような状態になるのか知ることができた。これからの授業に活かしていきたいと思う。 (薬学部)

・東海村の臨界事故のニュースは知っていましたが、放射能を大量に浴びるということがどういうことなのか、具体的にはよく分かっていませんでした。映像で被害にあった方の初期の写真と時間が経ってからの写真とが映された時、ほんの二ヵ月たらずでこんなにもひどい影響が出るものなのかと、とても恐くなりました。印象に残っているのは、大量の放射線を浴びたせいで、遺伝子自体が変質し、自ら放射線を放つようになってしまったということです。体を作る基礎の部分が壊れてしまうとどんな治療も効き目が無くなってしまうことがショックでした。ゲノムを解読できるほど技術が進歩しているのに、まだ実際の治療には(勿論今回は特異なケースですが)応用がきかないのだろうか、と疑問に思いました。 (文学部)

・私はこの事故について覚えていない。今回このビデオは衝撃的だった。インターネットで記事を見てみると、この事故により、死者2人、被爆者667人余、避難者31万人という大事故であった事を改めて知った。亡くなった大内久さんは、一瞬にして18シーベルト(放射線作業従業者の900年分)を一挙に被爆したそうだ。これは、時間をかけて確実に死に至る内臓死をもたらした。この治療は本人にとって非常に厳しいものだったため、いっそのこと100シーベルトを受け、痛みもなく亡くなられた方が幸せだったかもしれないという意見が載せられていた。医療チームも「誰のために何のためにやっているのか」と分からなくなったと述べていたが、一体これだけつらいこと苦しいことをして何を得られるのだろうかと思った。DNAが破壊され、細胞の再生ができずに、皮膚が無くなり、液体がしみ出してくるという現実が起こりうることを目にして、DNAの重要さを知り、肉体が存在していることのありがたさ、そして、放射線の危険さと恐ろしさがよく分かった。また、今の最前線の医療でも無理なら、原爆の時はいったいどんな状況ダッ田野だろうかと改めて考えさせられた。 (教育学部)

・今回、このビデオを見て、日本という放射線・放射能などに敏感な国で、あんなにもずさんな放射性物質の取扱いが行われていることにショックを受けました。また、被爆治療の面でも、日本は最先端の技術を持っているはずなのに、これが限界なのかと・・・。今回の例は特異的な例だとは思いますが。
 また、延命治療についても疑問に思うことがありました。大内さんの意志によるものなのか、医師や家族の独断によるものなのか。自分なら死なせてくれと思うかも知れません・・・。 (理学部)

・放射能を浴びた人がどのようになるか?というのを僕は全く知らなくて、ただ危険だという事しか知らなかったけれど、実際に細かなことを見たら本当に恐ろしく思いました。医療の全てを用いても一向に状況が改善されなくてての打ちようが無い状態なのに、最後まで最善を尽くしていく医者の人々はすごいと思いました。 (理学部)

・私はこのビデオを見て放射線の怖さを初めて知りました。放射線は目には見えない野にどうして人体に影響があるのだろうかと以前は思っていました。それが、人の染色体を直接こわすものだと知った時はおどろきました。これを利用した原子爆弾は最も恐ろしい大量破壊兵器だなと思った。
 ビデオに出てきた人は放射線を大量に浴びたのに83日間も生き続けることができたのですごいと思った。しかし、あのように延命をする意味は果たして本当に正しかったのだろうかと考えさせられるビデオでもあった。 (理学部)

・放射能を浴びたら、どのように体に影響を及ぼすかを知り驚いた。放射線被害について全く知らなかったので、被爆の深刻さを知りました。被爆した場合、現在の最先端の医学でも治すことができずただ死を待つというのはあまりにも悲しすぎると思いました。
 私は安楽死に対して反対なのですが、「彼」の場合はあまりにも状態がひどくて、時と場合によっては安楽死に賛成と思いました。
 現在は原子力発電は必要不可欠なものなので、今後の核の管理をしっかりしてもらいたいと思いました。 (理学部)

・今回は東海村臨海事故ということで数年前大変話題になった事件ですが、バケツによって汲み出しをしていたという、高校生だった私にも明らかに危険だとわかるようなずさんな管理をしていたことに対して、非常にショックを受けたのを覚えています。一般的な知識があれば簡単にわかることなのに……とある種の悲しみを覚えました。一方で、放射線を浴びるとこんなにも人体にひどい影響をうけること、今まで考えていた以上に酷い影響をうけることにも驚きを覚えました。ということは、長崎、広島に落とされた原爆は、これと同等かそれ以上の被害を被爆者たちに与えたということになります。現在の医療でも太刀打ちできないのに、その当時の医者たちはきっと何もできなかっただろうと、彼らの無念さが伝わってきます……。今、原子力発電は私たちの生活になくてはならないものです。しかし、もしチェルノブイリのような事故がおこったらどうするのでしょうか? 今東海村臨海事故も、チェルノブイリ原発事故も忘れさられようとしています。この事故を忘れず、教訓としていくことが必要です。 (医学部)

・私は染色体についてはよく分からないので、ビデオを見て尊厳死について考えました。私は基本的に尊厳死には反対です。自分が被害者の家族だったら最期の最期まで看病したいと思うからです。でもある程度看病して、治る見込みもなく、本人のためにもならないと諦めがついたら静かに見送ってあげたいと思いました。 (法学部)

・前回の放射線被爆のビデオを見て、本当に人間は恐ろしいものを作ってしまったんだなぁと改めて痛感しました。それと同時に、この事故をひたすら隠そうとする日本社会の在り方にも疑問を持ちました。人の命を何だと思っているのか、全く理解できません。被害に遭われた方々の為にも、これを一つの教訓としてこれから同様な事故が起こらないよう体制を整えていってほしいと思いました。 (医学部)

・今回の講義で科学技術を扱いきれていない人間の姿を垣間見ることとなった。人間の生活を豊かにするはずの科学技術が、一度人間の手を離れることで逆に人間にとって最も恐ろしい存在となり得るというジレンマ。科学技術によって繁栄してきた我々にとって永遠のテーマである。ウランのずさんな管理が事故の原因であるが、責任は電力会社にのみあるのではなく、きちんと指導していなかった政府にもある。遺伝子技術というパンドラの箱を空けてしまった今、我々はこれまで以上に高度な倫理観を構築すべきである。 (医学部)

・放射能の恐ろしさをあらためて実感させられた。今まではただ漠然と恐ろしいものとしか感じてなかったが、放射能が染色体を傷つけ、細胞を破壊するということは初めて知った。病院での大内さんへの治療はよくなるどころか皮膚などの現状を維持するのも困難な状況で、治療を続けていくなかでもとには戻らないとわかりながらも治療を続けることは、大内さんや家族にとってはもちろん、治療する側にとっても、とてもつらかったと思う。原子力は今の生活に必要なものだが、使い方を誤ると大惨事になるので、きちんと安全を第一に考えていかなければならないと思う。自分たちの生活が便利になるにつれて、人間が作り出したもので人間が被害を受けるような愚かな行為が起きないようにしていかなければならないと思う。 (工学部)


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