2005年度 レポート第4回 回答集

熊本大学
生命資源研究・支援センター
バイオ情報分野
荒木 正健
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2006年 5月29日更新

2005年度 最前線の生命科学C レポ−ト第4回(2005年11月 9日実施)回答集

[ テーマ ]『人は誰でも20個以上の遺伝病の保因者だという事実について』

[ 回答 ](21人)

・わたしは、別にこのことを聞いても驚きませんでした。まぁ、数学的にどうのこうのは別にして、自分自身の身の回りを考えても、父方は糖尿病家系、母方は癌家系とかはよく聞く話だし、そんなのが積み重なっていたら、20という数字でも少ないくらいだと思います。だから、わたしは遺伝的な要因の有無を知ることよりも、各個人が常日頃からきちんとした生活をするほうが大切だと思います。 (理学部)

・遺伝子診断により自分のさまざまな情報が分かることについて、情報の選別が大きな問題になるのではないかと思います。知りたい情報、知りたくない情報をどう分けるのでしょうか。たとえば、病気のことについて、知りたいという人もいれば知りたくないという人もいると思います。また、聞いた後に「そんな病気なら知りたくなかった」ということも考えられます。
 講義で読んだ野島さんの本に書かれているように、遺伝子診断のは、倫理的・社会的な問題の解決なしには有効となりえないと思います。個人的な意見ですが、人の幸せは健康だけではないと思います。何年も先に発病する病気を防ぐため、幼いころから大変な治療を続けていくより、たとえ、人より短い寿命であっても、自分らしく生きていけることのほうがいいと思います。  ただ、予防にかかる負担と、将来発病する病気の大きさによっては、遺伝子診断はとても有効なものとなりうるとも思います。治すのではなく、発病を防ぐということはとても大切なことだと思います。
 遺伝子診断の行われ方次第で、人の生き方が大きく変わってしまいます。使い方を誤った場合、悲しい結果が待っていると思います。研究者や医者だけでなく、私たち個人がこのことを深く考えていかなければならないのではないでしょうか。 (法学部)

・人は誰でも20個以上の遺伝病の保因者だということを初めて聞いてとても驚きました。今まで私の家から遺伝病の患者が出たことはないので、遺伝病がそんなに身近な問題だと思ったことはありませんでした。遺伝子診断が一般的に行われるようになると便利なこともあると思いますが、将来結婚するときに互いが遺伝病の保因者であることがわかって、周囲から結婚を反対されたり子供を作れなかったりしたら悲しいなと思いました。 (文学部)

・最初にこのレポートのテーマだけを見たときはとても驚きました。自分は健康で、そういった病気とは一切関係がないと思っていたからです。しかしよく考えてみれば、因子を保有していても必ずしも発病するわけではない、あるいはすぐに目に見える症状が現れるわけではないのだから、自分の気づかない病気の因子を保有していても少しもおかしくはないのです。ただ、テキストでは遺伝子診断が盛んになってきたときに心配される、遺伝子変異や潜在的な障害という診断結果に対する偏見はまったく的をいていないとありましたが、私はそうではないと思います。発病のしやすさや死亡率の高さなど、その人の保有する遺伝病がどういった特徴を持つのかによって、偏見や差別が起こる可能性は十分にあります。もちろん、一人一人が「みんな遺伝病になる可能性を持っている」という事実を知ることで、こうした偏見なども減っていくといいな、とは思います。 (文学部)

・1人20個以上も保因しているのであれば、「同じ病気の変異を持った同士が結婚し、その子供のうち4分の1が発病」という確率は決して低いとは思えません。確率の問題であって、自分はどうだなんて少しも言い切れません。遺伝病の見方が少し変わりました。両親が発病していなくとも自分はどうだろうか、兄弟は、自分の子供は、孫は、と自分に関係のない病気ではなくなったような気がします。
 しかし、多くの病気は、環境と遺伝とが重なった結果生じるものなので、自分の手では施しようの無い遺伝子を論じる前に、環境の重要性を再認識して日々の生活に気配りすべきです。
 『遺伝子診断の推進は、たとえ技術が進展しようとも、倫理的・社会的な受け入れ体制が整うまでは時期尚早であろう。』とプリントにありますが、このことは他の色々な技術にも言えることだと思いますが、もしその診断が命を救うことになるのならば、体制が整うのを待っていては遅すぎるのではとも思いました。 (教育学部)

・今テレビで「1リットルの涙」というドラマが放送されています。主人公の少女は、脊髄小脳変性症という難病に冒されており、その中で少女が「神様、病気はどうして私を選んだの?」と言う場面があります。そんな難病になる確率は決して高くないし、彼女の気持ちはとてもわかります。そしてそれを踏まえた上で、「人は誰でも20個以上の遺伝病の保因者である」という事実について考えた時に、私は逆に、それでは今わたしが何不自由なく元気に生活出来ているということも、すごい確率なのではないか?と思ったのです。今の生活が当たり前と思い、あらゆる事を困難なくすることができますが、当たり前ではなく、これから先、いつそんな難病に冒されるかもしれないし、だからこそ、もっと今を一生懸命大切に生きなければ、と思いました。また、他の授業で母性遺伝というものがあることを知りました。当然、親としては我が子には健康に育って欲しいと思います。しかしその思いに反して、自分自身が直接子供の病気の原因になってしまうことを聞き、さらに遺伝病の恐さというのを感じました。 (法学部)

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 私も、『今を一生懸命大切に生きなければ』と思っています。・・・ (コメント by 荒木)

・わたしは、まずこの事実を耳にして少しショックだった。今はとても自分自身は健康的に過ごしているつもりであるが、遺伝病が影に潜んでいるのだ。言い換えると、誰でも遺伝病になる可能性はあるということだ。そう考えると、ゲノム科学に対する私自身の考えは以前と比べて少し変わってくる。 以前は遺伝子診断によって病気が早めに発見できてゲノム 科学に対して肯定的に捉えていたが、今は不安な点もある。すべてが分かってしまうのが果たして幸せと呼べるのだろうか。もし、自分が治療法のまだ見つかってない難病になる遺伝子を持っていると分かったら・・・。遺伝子診断は人は誰でも20個以上の遺伝病の保因者だというような事実やマイナス面もしっかり考慮に入れて検討していかないといけないなぁと今回改めて感じた。 (医学部)

・日常生活で自分が遺伝病の保因者であることを実感するのは難しい。ただ、自分が将来子どもを産むときに、父親となる相手が私の持っている遺伝病の遺伝子を持っていてかつ、私の産む子どもが25%の確率で劣性遺伝子ホモの遺伝子を獲得した場合に初めて私自身が遺伝病の保因者であることを実感することができるだろう。科学的に言えば、自分が遺伝病の保因者であり遺伝病の子どもを産むことを確率で表わすことができる。しかし、実際に子どもを産み、その子どもが遺伝病を持っていた場合、確率論は無意味なものになってしまう。なぜなら、その子どもを産んだ現実が100%だからだ。先週のレポートの内容と重なるが、自分がどんな遺伝子を持っているのか知っておきたいと考える。知ることにより防ぐことができることが多くあると考えるからだ。また、遺伝情報を明らかにする技術がある今日、自分自身の遺伝情報を知るという権利を無視することはできないと思う。産む子どもに不治の病気や障害があった場合、産まない権利もあると私は考えているので、その権利を守るためにも重要だと思う。 (薬学部)

・今までは、テレビで何十万人に一人発生する病気にかかり…なんてことを耳にしても、とても遠い話にしか思えなかった。たとえばその親も、自分は健康でまさか自分の子供がこうなるなんて、夢にも思わなかった。と涙を浮かべながら話をする場面がよくあり、それを見て、運命というものや、偶然を不憫に思っていた。しかし、誰もが20個以上の遺伝病を持っている事実を知り、人事に思えなくなった。今、新型インフルエンザの話題で持ちきりだが、医療の発達に伴う人口増加の問題で、次に起ってくるのは、この遺伝病の問題やウイルスの問題であると思う。なんだか、まるで神か何かが世界の人口を操っているかのようで、恐ろしいと思った。 (教育学部)

・遺伝病と聞くと珍しい病気という偏見をもっていた。しかし、専門科目や今回の講義で潜在的には誰にでも起こりうる身近な出来事であることを認識した。たしかに発病しなければ、保因者といえども本人には直接的な害はない。しかし、保因者どうしで結婚すれば自分の子供が発病するリスクが飛躍的に高まり、危険である。したがって遺伝子の問題は切実な問題の一つである。また疾患だけではなく、遺伝子差別という新たな問題も生じてきている。  遺伝子技術が産み出した諸問題を解決するには社会の成熟が必要であろう。 (医学部)

・高校の生物で、女は病気の保因者である確率が高いということは習ったけど、二十個以上もの病気の保因者だということを知って驚きました。でも皆保因者なのに発病している人は少ないし、自分がたくさんの病気を保因しているとしても発病することはないんじゃないかと思いました。具体的に二十個以上の遺伝病の保因者だと言われても、発病するか否かは確率の問題で自分ではどうしようもないし、遺伝病は遠い世界の話のような気がしました。 (法学部)

・人は誰でも20個以上の遺伝病の保因者であることについて、この事実を知って本当に驚いた。しかし、どれだけ自分の体を案じても持って生まれた遺伝子は変える事はできない。人に生まれた運命として、これにどう対応していくかが問題である。進展している遺伝子診断などを用い、以後どうこの遺伝子と向き合って行けばよいかを最優先に考えていくべきだと思う。早く遺伝子診断の社会での受け入れ体制が整ってほしい。そしてうまく自分の遺伝子と向き合えることができるようになればいいと思う。 (医学部)

・資料の126頁にあった図5−4「25万人に1人発症するという遺伝性疾患の発症様式」を見て、今まで姿形にしか影響しないと思っていたAやa、つまり優性・劣性の区別が、こういった遺伝性の病にも関わっていたのだということを知り、深く衝撃を受けました。見かけは元気だが実は…というAaに、自分もなっていたのだと思うと、将来いつどんな病を患うのか不安でたまらなくもあります。
 遺伝性素因がもとで、就職や、保険加入に障害が生じた際の親族間の不和、逆恨みなどの恐れを考えると、今の日本は、とてもそういった「知る権利」を使用できる状況にないと感じます。プライバシー、セキュリティーなどと謳っている割には、情報の管理が行き届いておらず、今のままの管理体制では、必ず「恐れるべき事態」が発生する確率の方が高い気がしてなりません。それが解決されないまでは、データと個人をどう切り離し、誰が管理するか…を考えても、また同じ事態を繰り返してしまうと思います。
 本題から少し視点がずれるとは思いますが、講義終了後に疑問が起こったので、宜しいでしょうか?
 Aとaは遺伝型…ならば、そのaは人間が発生したときに既にあったものなのでしょうか?(個人の誕生ではなく、人類の誕生) 全ての生き物はひとつのものから派生したという説がありますが、その何らかのひとつのものがもともと持っていたものなのでしょうか? それとも、突然変異が起きたのか……。もし宜しければ、是非そういった根本的な(?)内容も教えて頂ければ、と思います。
 最後になりますが、講義中に先生が仰った「確率的な問題ではなく、本質的に違いはないのだ」という言葉が、とても印象に残りました。 (文学部)

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 現在地球上に存在するすべての生物は、共通の祖先を持っていたと考えられます。その理由のひとつは、DNAおよびRNAの塩基配列情報をタンパク質のアミノ酸配列情報に変換する時のルール(遺伝暗号表)が共通ということです。地球上に誕生した最初の生物は単細胞生物だったと予想されますが(神様が創ったのでなければ)、突然変異を繰り返して進化し、他の様々な生物と同じ様に、人類も誕生したと考えられます。しかしながら、最初にヒトとしてこの世に生まれた人物が、すべての遺伝子に関してAAの状態(ホモ接合体)だったとは考えられません。進化の原動力が突然変異だとすると、父親から来た染色体と母親から来た染色体の両方に同時に同じ突然変異が入る確率は非常に低いと考えられます。つまり、人類として最初にこの世に登場した人物も、決して完ぺきな状態ではなく、今の人類と同じように様々な遺伝病の保因者であったと考えられます(神様が創ったのでなければ)。別な言い方をすれば、遺伝病と進化の関係は紙一重です。・・・ (コメント by 荒木)

・人は誰でも20個以上の遺伝病を保因しているということだが自分はどんな遺伝病を保因しているのだろうか。親がこれといった病気にかかっていないのでどのような遺伝病を保因しているのか心配だ。きっと、誰でも20個以上の遺伝病を補因しているという事を知っている人は少ないだろう。 (理学部)

・私の知り合いに後天的な障害を持った人がいて、その方との関わりで障害を持った方と関わることが多いのですが、先天的に障害を持っている方も多くみているので、人は20の遺伝病の保因者と聞いてもさほど驚きませんでした。
 また私の祖父、祖母が、ガン、糖尿病の病気を患っていたこともあり、遺伝的病気をたくさん目にしてきました。
 自分の周りでは、遺伝的な病気を持っている人はいないと思っていても、「自分の目に映らないだけ」で、実際に患っている人はたくさんいると思います。
 人は誰しも遺伝病の保因者で、いつ発症するか分からないですが、それを個性として受けとめて上手に付き合っていくのが大切だと思います。 (理学部)

・人が誰もが20個以上の遺伝病の保因者であるということに驚きを隠せない。これが、病気の診断や対策に用いられるならば私も大いに歓迎したいと思う。情報の管理や本人が知りたくない権利の問題があっても、よいことは歓迎すべきであると考えるし、無論、それらの問題に対して最大最善の制度等の受入れの努力をした上で、である。だが、本当の意味での、人的、倫理的受入れは、まだ難しいだろう。なんらかの重度の遺伝障害が仮に発症した場合には、社会通念上「弱者」とみなされ、「強者」である、ある意味では「発症しなかった」だけという形の健常者に、場合によっては保護されたり見くびられたりする。
 では、「法の下の平等」以下に、実際に健常な身体を持つ人間と同等に扱うのか、という極端な話でもない。その「弱者」として発症された方に対して接するのではなく、妙な言い様ではあるが、「個人」としてどう接するか、どうケアするのか、という問題が重大であると思う。無論、これは、その人と普段接する人達でなく、社会上その他の人達にとっても、ということである。難問ではあるが、理想を空想に落とさないためにも、こういった考えはおそらく皆が抱いているだろうと期待し、また必要だと考える。 (法学部)

・遺伝病といえば、自分の家系も糖尿病やら心臓病やら色々あるんですが、やはり病気そのものがどうというよりも、この前の授業でしたように、DNAから遺伝病の種類などがわかってしまうという倫理的な問題が一番にあると思います。ガンの告知とは問題が違いますが、しかし同じくらい難しいものなので、今後とも慎重にこの問題に取り組むべきだと思います。 (医学部)

・遺伝病の保因者であることを考えるとまず結婚が頭に浮かぶのでそれについて、私たちが幾つもの遺伝病の保因者であることはとても怖いようであるがしかしこれは余りに人間(と言うより生物の)根本的な部分に根を張るもので、もやはどうしようもないのではないのかと思う。もちろん何の保因者であるかを調べることはできるだろうしそれを元に保因子の重ならない夫婦を作ればよいしその方法を取る人も現れるかと思う。しかし私はそのような方法をとる気はないし、このような人は案外多いのではないかと思う。私は誰かを愛するならそのような見方をしたくない、人間らしく直感で決めたいと思う。もし子に何らかの重い障害が出るかもしれないなら子どもは少し考えるかもしれないが、自分の子どもがそれに打ち勝つ確信があれば子どもをつくり大切に育てたいと思う(遺伝病にもよるが)。自分が幾つもの遺伝病の保因者であることや相手のそれを考えても仕方ない、もし相手のことがほんとに愛しいのならそんなことでも乗り越えられるし、そうでない夫婦には小さなハードルも乗り越えられないのではないかと思う。子供っぽい考え方ではある、しかし、結婚したらどうせ遺伝病とか言ってらんないハードル(遺伝病関係なしでも自分の子供に障害がでる可能性はあるわけだし)があるのだからそれを乗り越えられると思うような相手とこそ一緒になりたいと思うしなるべきかと思う。 (医学部)

・誰もが20個以上の遺伝病の保因者だという事実を知って、驚くと同時になんか少しショックをうけました。今まで健康に過ごしてきたのだから、遺伝病とは関係ないものだと思っていました。しかしそれは大きな間違いだと思いました。人は潜在的に障害持っているので、病気にならず健康な体で生まれてきたたげでもすごいことだと思いました。 (工学部)

・人は誰でも20個以上の遺伝病の保因者だということを知って、遺伝病とは想像していた以上に身近なものなんだと思いました。発病するかどうかを確率の問題で済ましてはいけないと思います。遺伝子診断はメリットとデメリット両方持ち合わせているが、なんとか遺伝子診断を用いることはできないものかと思いました。 (工学部)

・遺伝病について調べた結果、遺伝病とは遺伝子に異常が原因となって起きる疾患の総称で、通常は次世代に遺伝する可能性のあるもののみを称する、ということでした。狭義では、特定の遺伝子を、優性遺伝子の場合は両親のどちらか、劣性遺伝子の場合は両親共に有していた場合に発症する疾患のことで、筋ジストロフィー、血友病がこれに属し、また広義では遺伝的素因が関連する疾患全体を指し、ある家系において一般集団よりも特定の疾患の発生率が高く、その原因が環境に求められないような疾患、つまり統合失調症や高血圧、糖尿病が含まれるということがわかりました。
 後者の広義の定義であった高血圧では、私の祖父も高血圧であり、自分も高血圧なのでもしかして遺伝的に自分も高血圧になりやすかったのかと思いましたが、「その原因を環境に求められない」ことはなく、数年間の塩分過剰の暴食が心当たりにあるので遺伝病ではない可能性の方が高い気がします・・・。
 狭義の定義であるような、優性、劣性遺伝による発症は仕方ないにしても、広義の定義のように、自分の家系を見回して例えば糖尿病の親族がいた場合、自分も保因者かも知れないという可能性を充分念頭において食事に気を付けるなどすれば、大半は発症しないのではないか、と思います。また現在はゲノム解析が進んでおりあと数年たてば遺伝病の保因者かどうかも分かるようになると言われているので、そうなれば広義の遺伝病も未然に防げるようになると思います。ただ保険会社がそのような検査をして保因者は保険に入れない、という様な事態が起きたとして、どう対処すればいいか、という新たな問題が発生するのですが・・・。これもこれから考えるべき問題だと思います。 (医学部)


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