優秀作品(14)

熊本大学・遺伝子実験施設・荒木正健
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2001年 3月28日更新


『イエスの遺伝子』(法学部)

 治療行為とは何だろうか。刑法を学ぶ際に知ったことだが、治療と傷害の境界は曖昧である。先日日本で行われた性同一障害者に対する性転換手術の例を見ても治療の概念がいかに幅広いかが分かる。性別や障害は、自然あるいは紙によって定められた運命であり、人間が左右することはできないしまたすべきでもないというのがこれまでの普通の考え方だった。しかし、運命がDNA情報として知りうるようになった今、私たちは定められた運命を変えることができる。その、どこからどこまでが治療と呼べるのかはわからない。人間は究極的には不死を求めるからである。
 不死性を追及する癌細胞と人間とはアナロジカルな関係にある。この著書の主人公であるカーター博士は、自らの娘をイエスの遺伝子という救世主によって癌から救う。しかしこのイエスの遺伝子は、地球上に無秩序な増殖を続ける人間という癌を生み出す結果をもたらす。地球にとっての新たな救世主の役割を誰が果たすのか。  それは結局人間自身の良心でしかありえない。誰が良心を代表するのかは困難な問題である。この作品中では、カーター博士の選んだ「12人の陪審員」と、特定宗教団体の頂点に位置するマリアという個人とが、イエスの遺伝子を保有することでその役割を果たそうとする。
 遺伝子治療の発達が、現実にイエスの遺伝子と同じような治療・延命効果をもたらすとしたら、そのテクノロジーを制御する倫理はどのようなものになるだろう。  イエスの遺伝子を用いた治療を実践するために選ばれた「12人の陪審員」は、全員が科学者・医師・看護婦である。かれらは定期的に集まって、倫理の問題を話し合いにより手探りで解決しようとしている。
 ここで、民主主義と独裁との二項対立を連想した。民主主義には時間的にも人的・物的にもコストがかかる。逆に、カリスマによる独裁では迅速な決定が可能となる。マリアは偏った世界認識のために自らの力を有効に活用することができなかったが、正しい選択を行いえた者もいる。キリストがその例である。
 カーターと12人の陪審員の困難は、民主主義の実践というよりむしろ一人一人がキリスト同様の倫理観の持ち主たらなければならないところにある。
 前回のディベートで、理系の学生の口から人口抑制策としての医療放棄が正当化されるかのような発言があった。これは、先日沖田筋弛緩剤混入殺人にもつながる危険な発想のように思える。
 この作品中で呈示される人口爆発とそれに伴う飢餓・貧困というヴィジョンは確かに地獄に似ている。しかも、それを回避するための方法論が一人一人違うことが問題を複雑にしている。「幸福は個人的だが、不幸はしばしば社会的である」というマルクスの言葉は、その後半において資本主義への問題提起をかたちづくるものであった。それが現在では、この前半部分こそ、根源的な問題を浮き彫りにする深い意味を持ってきている。


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