2002年度 レポート第5回 回答集

熊本大学・遺伝子実験施設
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2003年 1月 5日

2002年度 生命科学G レポ−ト第5回(2002年11月 6日実施)回答集

[ テーマ ]動物実験の必要性について

[ 回答 ](21人)

・私は必要だと思う。初期の頃は特に必要である。慎重を重ねて、動物実験を繰り返してから、もう人体で試しても大丈夫と言う段階まできてから臨床実験をするべきだと思う。人体で実験をすることは非常に大変なことである。試して良い、と定義できる人体はないからである。しかし、無駄に動物の生命を削ることだけは避けなければいけない、と思う。(工学部)

・動物実験は必要であると思う。フランスのパスツール研究所が、東南アジアの人を、ボランティアという形ではあるが使用してB型肝炎のワクチンの臨床試験をしていたということで、このようなことは先進国が発展途上国の人を使うという形になってしまい人権上問題があるように感じられた。人間を守るために薬は開発される。確かにそのために動物が犠牲になるのは好ましくないと思う。しかし人間を守るために人間が薬の臨床試験で死ぬようなことは薬本来の役割から逸脱する。薬が本来の役割をきちんと果たすためにはやはり動物実験は必要であると考える。(一層の事「臨床試験」というものを、刑法を改正して「死刑」と「無期懲役」の間に作ってはどうだろうか。)(工学部)

・動物実験が必要か否かという議題ですが、やはり僕は必要だと思います。どんなに理論的には安全だからといってすぐに人で調べてしまってはあまりにも危険が大きすぎます。しかも、人が同じ種の人に対し安全性の低い実験をするのもどうかと思います。あとひとつ、授業で反対意見として、動物には選択することが出来ないが人間は自分の自由意思で決めることができるという意見がありましたが、本当に人が安全性の確かめられてない実験するときに被験者には自由選択は出来るのでしょうか? 僕はそう思いません。きっとそんな実験を引受けた被験者の多くは貧困した人達の可能性が高いと思うんです。やはりこういう実験はきちんとしたルールを作って守っていく事が一番必要だと思います。未知の領域なんて誰にも正解は解らないのだから、、、(理学部)

・私は動物実験の必要性はあると思う。たとえ最終的に人間で実験しなければいけないとしても、実験される動物にはわるいけれど人間で実験する前に、その実験しているものの安全性ができるかぎり証明されている必要があると思うからだ。もし自分で実験されると考えたとき「動物と人間はちがうから前もっての動物実験は必要ない。」といえる人がいるとはおもえない。(教育学部)

・私は、動物実験は必要だと思います。ヒトにワクチンが投与されるまえに、できる限り安全性や感染防御能を確かめてほしいからです。チンパンジーをつかっての実験については、殺さないようにしているのなら、問題無いと思います。むしろ私は、保護動物に指定されていない動物をつかっての実験を行う際にも、たとえ数多く存在しているネズミ等であっても、命あるものとして大切に扱ってほしいと思いました。(法学部)

・動物実験については必要であると思います。ヒトの命が他の動物の命よりも大切であるというのは傲慢かもしれませんが、人間は実際に動物実験のおかげで薬やワクチンを一番よい状態で使用できているのではないかと思います。もし動物実験がなければ人間が高いリスクを負うことになります。確かに動物愛護団体などによって指摘されている動物実験の中には過度のものもあるかもしれません。薬学部で医学部や動物実験を行う研究所に行ったとき、解体に使った患者や実験の対象となり死んだ動物を悼んでいたのを見ました。せめてそういった動物に対する感謝の気持ちを忘れてはいけないのではないかと思います。(薬学部)

・私は、動物実験はどうしても必要なものであると考えます。「どうしても」というのは、できる限り生命を実験に使うべきではないと思う気持ちも少なからずあるからです。しかし私たちがヒトである限り、例えば新薬のテストをいきなりヒトで行うのは予測できないリスクを含むことでもありうるので、やはりヒトに近い動物での実験は避けられないものだと思います。ただ、「ヒトさえ無事なら動物はどうなってもいいのか」という自問への明確な答えは、まだ見つかりません。(法学部)

・私は動物実験は必要であると思いますが、今回の授業であったフランスのような例を間違ったことであるとは思いません。ただし、前段階の動物実験でその安全性が十分に確認されていなければなりませんし、被験者には、ヒト及びチンパンジーにしか感染しないことによる危険性が十分に説明されなければなりません。その上の同意であれば、よいのではないかと思います。もし、私がこのような病に犯され、他に手段がないのなら、治験段階の薬でも試してみるかもしれません。しかし、やはり基本的に動物実験は必要だと考えます。その理由は、身も蓋もない言い方ですが、人間社会が人間の生命を最優先しているからだと思います。(薬学部)

・確かに、研究の初段階では、動物実験は極めて重要に思える。始めたばかりの研究でわずかな手がかりしかないのに、その段階でヒトを使った臨床実験を行うのは冒険である。しかしながら、ワクチン等の効果を確認する段階では、ヒトを実験に使うのは許せるのではないか。特にワクチンは、実際その病気で苦しんでいる人がいるわけだから、早く結論を出さなければならないはずである。つまり、動物実験で分からなかったヒトへの効用があるならば、動物実験を続けている間だけ、患者は苦しんでいるということになるのだ。 ちなみに、先生は、「フランスの臨床実験では、東南アジアで実験される人を集めていたが、これには反対だ」とおっしゃっていたが、この点については、世界各地から募れば、差別的問題は解消されるのではないかと、個人的に考えた。(理学部)

・私は、動物実験は必要だと思う。なぜかというと、人間誰しも実験代になりたいとは思っていないからだ。もしお金を使って人間を集め(そうしないと人は集まらないと思う)実験をするとしたら、その被験者はほぼ貧しい国の人だと思う。日本に住む私には、わざわざ今の自分の健康を侵す危険性をはらんでまで実験に協力しようとは思えない。しかし、貧しい国の人たちは自分の健康を生きるための手段として利用するだろう。私にはこれが人間をマウスやモルモットのように扱っているように見えて気分的に嫌なのだ。だから人で実験する前にできる限りの方法で安全を確認してもらいたい。一方、自分が不治の病で、治るためにはまだ動物実験もされていないような方法しかないという状況だったら、やりたいと思うかもしれない・・・。難しい問題だと思う。(工学部)

・もしも実験が失敗し命に関わるものとなった場合、それが人間であると周囲から批判があるだろうし、実験を行った人にも罪の意識がうまれるだろう。動物であれば「実験だから」と軽く片付けられてしまっているのではないだろうか。  「動物実験の必要性」について考えたとき、「実験で罪もない動物を使うなんて」という批判的な考えの人もいると思う。でも人類がなるべく危険を冒すことなくもっと発展したいのならば、少なからず動物実験は必要だ。動物に犠牲になってもらっているのは実験だけではなく、生活すべてだ。動物だけではなく、植物にもお世話になって私たちは生きている。「動物に犠牲になってもらっている」「動植物に犠牲になってもらわないと人類は発展できない」というくらいの意識が必要だと思う。(教育学部)

・現在の医療技術ではまだ未知な点が多く、コンピュータ等を用いてのシュミレーションが不可能です。したがって今後の医療発展のためにも動物(生体)実験は不可欠だと思います。薬物投与のデータ採取において人間を使って必ずしも信頼性のあるデータが得られるとは思いません。というのは人間では実験のため同一条件で育てるのはまず不可能で個人差も影響するでしょう。一方動物を用いるなら、同一条件で育てられ人より薬の効果が現れるのが早いので異常が早期発見できるという利点があります。よって私は動物実験については必要であると考えます。(工学部)

・「動物実験は必要でしょうか?」この質問をされたときビックリしました。それが当たり前だと思ってたからです。でも、話を聞くうちに「当たり前」では済まされなくなってきました。人間がより長く生きるために絶滅しかかっているチンパンジーを使うなんて! しかし、目の前でチンパンジーと人間が死にかけていたら私は人間の方を迷わず助けるでしょう。エゴなんでしょうが、絶滅しているからといって同種を見殺しにするなんてできません。また、人で実験すると確かな結果が得れるというのも疑わしいものです。製薬会社とはいえ所詮は利益を追求するでしょうから、新薬をやみくもに打ちつづけるかもしれません。それに、チンパンジーでワンクッションおくことでよりよい薬ができるんじゃないでしょうか?(理学部)

・動物実験は必要だと思う。新しく作った薬の良い面を生かすためには、悪い面も知らなくてはいけない。それには動物実験が不可欠だ。実際に使ってみないとわからないこともある。現在、いろんなものに動物実験は適応されている。化粧品なんかもその一つだ。それらのために、たくさんの犬や猫が犠牲になっている。だけどそのうちクローン技術が発達したら、実験用のクローン人間なんかが造られて、それらの命のかわりになるかもしれない。‥‥それはないかな。犬や猫はタダ同然で手に入るだろうし。いざとなったらチンパンジーのクローンを造ればいいか。(理学部)

・私は動物実験は必要だと思う。どうせ最後は人間に投与するのだから、最初から人間で実験すればよいという考えもあったが、私はやはり少しでも人間へのリスクを減らすためにもまずは、動物実験をすべきだと思う。遺伝子組み替えワクチンは便利であると同時に、いろいろな危険性があると思う。人間に投与してから、失敗したと言うことではすまされないと思う。だからといって、動物を使ってもいいとは言い切れないが今のところ他の手段が無いため、やむを得ないと思う。(教育学部)

・私は 動物実験が必要だと思います。なぜなら、動物実験は医学と生物学等の生 物系の研究におけるもっとも重要な手段であって,実験動物の貢献なくして現代の 医学,生物学等の研究成果は語れません。このように,動物実験が重要不可欠であるにもかかわらず,それに対する社会の批判は決して弱いものではありません。それは主として,不必要な動物実験,あるいは残虐な動物実験が科学の名のもとに実 施されているという誤解に基づくものと思われるが,科学的に適切でない,あるいは動物福祉の配慮に欠ける動物実験が一部で実施されていることも,残念ながら事実です。今も私達は動物を使っていろんな実験を行っています。(理学部)

・さて、動物実験は必要かという題ですが。いくらチンパンジーの遺伝子がヒトと近いといっても、ヒトと全く同じ結果が出るわけではない以上、薬などの試験の場合、最終的に人で実験を行わなければなりません。それは絶対です。しかし、前述の通り、チンパンジーの遺伝子は人のそれに非常に近いので、人で試験する前に致命的な副作用、欠陥を発見できる確率は非常に高いと思います。よって、リスクを減らす意味でも、動物実験は必要だと思います。(薬学部)

・薬やワクチンが認可されるためにはヒトの臨床試験のデータが必要であるので最終的には人間に対する実験が必要である。企業では手間、時間、費用等の点で動物実験を行なわず直接人間でやるほうがメリットが多い。しかしそれにはリスクがともないヒトの命にもかかわるかもしれない。ここでその薬やワクチンは誰のためにあるのかというと人間のためにあるのである。人間のエゴではあるがヒトの権利が守られるためには動物実験というクッションは必要であると考える。(工学部)

・必要性はあると思う。やはり人間の体にあうかどうかは、きちんと分かって、その確認のためという風にしないと、保障(後の)とかの問題が多く出て大変である。少ないコストでしていかないと出来る実験の数が減ってしまう。多くの薬を生み出すには必要だろう。(法学部)

・動物実験は行わなければならないとほとんどの人は考えているだろう。たとえ、動物実験に反対している人がいようとも、すべての人々は何らかの形でその恩恵を受けている。もし、テーマが『人での実験を行ってよいか』というものだとしたら、人による受けとめ方は様々だ。現在のラットの実験は必要であり(人で実験するにしても、しないにしても、必要である)、問題となるのは最終的に何を用いて実験をするかである。1つの生命として同等であるとすれば、人間も動物も同等であるが、人間に関する実験であるから人間をサンプルとして使用するのが当然であると考えられるだろう。むしろ、霊長類の中で最も数が多く、繁殖、成長も楽である点から考えても最適なのではないだろうか。言語、教育などを何も行わなければ、他の動物と見た目以外は変わらないはずである。
 次に、感情的な視点から見てみよう。人間の倫理として、同種族である人間を殺すということは罪であるとされている。つまり、人を殺してはいけないと教育を受けている訳である(教育というか、情報として知っている)。人は、自分に近い人々に対しては何らかの感情をいだく。家族、友達、クラスメイト、同じ県民、日本人、人間と、前者になればより身近な存在であると感じている。しかし、同じ日本人であっても死刑囚に対して可哀想と思う人は少ないのではないか。誰がどのように死刑を行っているかがあいまいだから、あまりイメージがわかないのだろう。ここで死刑囚に対して実験を行うのは、死刑を行うのとどちらが正しいと感じるだろうか。人に対して役に立つのは実験を行う方である。死刑囚にも家族がいる。悲しむ人々もいるだろう。現在実験を行われている人々は、恐らく貧しい発展途上国の人々で、何をされるのかを理解していない人々なのではないだろうか。それよりかは、家族などを持たない、人間サンプルを育成して実験を行った方が良いと思う。
 もはや、人間を用いた実験を行わなければ、人間が存続していくのは困難だと考えられてもおかしくはないと思う。人間の価値観はゆっくりと変化していくものと考えていたが、実は個人の価値観のみゆっくりと変化していくもので、世代間の価値観は今の核家族・情報化社会に影響されたため、共通性がかなり少なく全く違ったものになっている。感情的なことより現実的なことが優先されるようになっていくと僕は考えるので、遅かれ早かれいずれは人間サンプル(各器官ごとだとしても人間をサンプルとして使用しているとみなす)は行われるのではないだろうか。動物実験に必要であることも、世界の現状を考えれば、すぐに分かるだろう。(工学部)

・チンパンジーと人間のどちらかを動物実験に使うなら、チンパンジーを選ぶと思う。もちろんチンパンジーに対する罪悪感や、人間が他の生物と比べてそこまで偉くないはずだという思いもあるけれど、人間が自らの延命のために作り出す薬を他の動物で試すのはある意味自然なことで、食べ物を食べるのと同じく、だからこそ、そこに生き物への感謝の気持ちが生まれるのではないだろうか。また、感謝の気持ちがあれば、動物実験を濫用したり、残酷な方法をとったりということは出来ないと思う。だから、動物実験は極力安全な方法で、最低限度おこなわれるべきである。(法学部)

===== レポートについてのコメント (by ARAKI) =====

・実は先週水曜日(11月6日)の講義の前に、13:20から動物慰霊祭が、14:00から解剖慰霊祭が行われました。私はマウスを用いた研究を行っていますので、動物慰霊祭に毎年参加しています。

・不治の病と宣告された人が、自分の意志で実験台になるというケースは、医師と患者の十分なコミュニケーションがある場合は問題ないと思います。人を対象とする場合、やはり重要なのは信頼関係だと思います。

・『動物だけではなく、植物にもお世話になって私たちは生きている。』と言うことを意識することは重要だと思います。だから何をしても良い、と開き直るのではなく、感謝の気持ちを忘れてはいけないと思います。

・動物実験の場合、実験環境も重要ですが、マウスなどでは遺伝学的な背景(genetic background)をそろえることが可能です。例えばC57BL/6という名前のマウスライン(系統)とBALB/cというマウスラインでは、性格も、いろんな薬剤に対する反応性も異なります。同じ系統のマウスを実験に用いる場合は、ゲノム上の全ての遺伝子がホモの状態になっており、ほぼ同じ結果が期待できます。これに対して人は、ひとりひとり全く異なるゲノムを持っていますので、顔も性格も、薬剤に対する反応性も異なります。従って、人を用いた臨床試験を行う場合、できるだけ多くの人を対象にテストを行い、結果を統計処理する必要があります。

・「実験用のクローン人間」という発想は、5年前でもSFの中だけの話だったと思いますが、今ではまじめに議論されるテーマになりました。科学者だけの問題ではなく、「人間とは何か?」という根本的な哲学にも影響を与えかねない、全人類が考えるべき問題だと思います。
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