優秀作品(9)

熊本大学
生命資源研究・支援センター
バイオ情報分野
荒木 正健

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2004年 4月17日更新


『時間の分子生物学』(法学部)

 地球上において、生物が進化しあるいは淘汰される。生命の誕生から続くこの流れについては、生物の種としての特徴、そして直接影響する外的な環境について関係性を考えることが多いように思う。私自身も、進化といえば連想するものはそうだった。それらは、変わりゆく環境や外敵に合わせての進化とも言えるだろう。つまり、それらに究極の進化形は存在しないのかもしれない。では、もし進化に究極が存在するならば、それはどこに存在するのか。地球という環境に限って、常に変化しないものがあるとするならば、それに合わせたシステムは地球上の生物の中では究極のものになっていてもおかしくはない。加えて、あらゆる生物がもつとしたら、それは地球上で生きていくために必要不可欠、ある意味で究極といえる代物ではないのだろうか。そして、この本で語られる第一のテーマ、生物時計こそまさにそのシステムそのものだと、私は思うのだ。地球上で常に変わらないもの、そして且つ、生物の生命活動において避けては通れない影響をもつこと。それは常に存在するということでもある。私達が感じる、常に存在する概念の一つが時間だ。時間を計るものは当然時計だが、生物の中に存在し時間を感じることができるものは生物時計という。避けては通れない時間という概念だから、時計が生物の体内にあってもなんらおかしくはないともいえる。しかし、単純に時計といってもだ。時を刻むシステムが生物内に存在し、それは自律的に動き、外からのリセットによって正確に微調整することもできる。勿論生物時計の機能はそれだけではないが、これがどのような生物の中にも存在し時を刻み続けている、その事実に私は筆者同様驚嘆する。生物時計がかかわる機能として挙げられているものには、季節や方角を知るものもあるという。実際に時計の正確さの点では人間の作った時計に及ばなくとも、ひとつの時計だけで季節や方角まで知れるという多機能かつ効率的な設計は、単純に脅威に値するものだろう。勿論、生物時計の主となるものは脳にあるが、多細胞生物においては全ての細胞が簡単な時計を所持し、それによって働きつつ、定期的に脳の時計とも合わせるような仕組みをもつという。生物時計は、多機能さに加え合理性も持ち合わせているのだ。そして何より、それがほとんどの生物の中に存在するということ。地球で生きていくためには不可欠なものであったからともいえるが、これを持たざるものは生き残ることができなかった。またこれを持つという進化を経たために競走に勝ち残ったともいえるはずだ。勝ち残った生物全てが所有する。これを究極と呼ばずして何と呼ぼう。生物時計の刻む時間は約24時間であり、つまり、1日周期である。時間に関してより精密さを求めるようになった人間にとっては、この単位はあまりあてにならない長さだろう。だが、生物として地球環境の中を生き抜くためには、このシステムが実に効率的に、重要な役目を果たすという。この24時間周期を生物リズムもしくは、概日周期とも呼ぶそうだが、生物がこの周期を基準とするのは最も効率的だと私は思う。時間に絶対的な基準など存在しないだろうが、地球上という範囲に限れば、地球の示す時間の単位が絶対といえるかもしれない。その単位は、地球が時間の経過によって行う繰り返しに準じるはずだ。繰り返しということは巡り回ることであり、即ち回転でもある。地球の関係する回転といえば自転と公転であり、最小の基準は自転、つまり最小単位は1日といえるだろう。地球に余程の衝撃が無い限りはほとんど変わることもないはずだ。生物時計はその最小単位とほぼ同じ時間をリズムとしている。生物時計は、人間の目からは呑気なものに見えるかもしれないが、自然の中では究極に進化した時計なのではないだろうか。また、人間の作る時間の基準さえ、元はといえば1日を等分しただけのものである。それは勿論人間が文化的な活動をするに従ってより効率的に時間を利用し、集団活動のための確固とした基準を作らねばならなかった結果なのだから、否定するわけにはいかないのだが、こうしてみると人間は面白い。元々地球で生きていくために必要なものとして自分の中に時計を持っていたが、それだけに頼らずに、実際にはそれを元にしていたとはいえ、新たな時計と時間の基準を自らの体の外に作ってしまった生物。そして外の時計に合わせ中の時計が外とずれることに苦しむことすらある、時差ボケという現象もある。生きるための時計が弊害にすらなる。なんとも滑稽な話ではないか。
 生物時計についてこの筆者が研究していくうちに、この本の第二のテーマでもある睡眠にもいきついた。睡眠とは生物時計と密接な関係を持つというが、それは私達人間に関しても重要なことだ。なにより、別に作った外の時計を基準としているのだから、中の時計とそれが関係する睡眠という避けられない現象は、何かと問題になりやすい。食欲、性欲、睡眠欲と並べられることも多いが、私が思うにその中で、最も理由が不明瞭なものが睡眠である。代謝への栄養補給のための食欲であるし、子孫を残す性行為のための性欲ではあるが、何故眠るのかと問うとその意義をはっきり見出せないように思う。そう「したくなる」能動的な欲求というよりも、そう「するしかない」受動的な状態に近い気がしてしまうのは、私だけだろうか。しかし、何かしらの理由があるために眠らねばならないはずだ。では何故か。当然、眠いから。理由になっていない。睡眠の状態を考えると、休息のためという考えが考えられる。実際に現在ではそう考えられているが身体の疲労回復はただ横になることとそう変わらないため、主に脳の休息の時間であるとされている。もっとも、休息の合間には激しく脳が活動するレム睡眠も存在するが。レム睡眠に関しては、夢を見ることで良く知られるが、覚醒時に行った学習の復習の意味合いなどの可能性もあるという。ただこの本で筆者も度々述べているように、この分野は現在も研究途上のため、まだ新たに明らかになる役割があるかもしれない。しかし、ピンとこないものである。脳を休めるのに数時間も必要なのだろうか。眠らない外の時間に縛られた人間達は、時にその時間を無駄とも感じる。私も例外ではないが、そう考える人は決して少なくはないはずだ。何故なら、その時間が無駄に出来ない長さであるからだ。そう、睡眠が他と大きく違うものはそれに関わる時間なのだ。誰しもが、一日のうちの4分の1から3分の1を同じ行動に費やす時間、それは、睡眠以外にはありえない。だからこそ、生物時計が関わる現象の中では最も重要な問題となってくる。睡眠時間に関しては、睡眠自体の意義にも関わる問題だが、それに関して理想の時間は明確には定まっていない。決められないのだ。筆者のいう通り、朝気持ち良く目覚め日中は眠気が無いようにしていればそれで良いのだろう。当たり前の話であるが、そうとしかいえない。時間が無駄に感じても、体がそうなっている以上それに従うしかない。これも、外の時計を作り出し基準としているために生じた、生物時計の弊害であろうか。
 睡眠のことを思うと、人間はやはりただの生物、結局は生物時計に支配される生物のひとつに過ぎないのかと考えてしまう。しかし、この分子生物学の目覚ましい発展を見ると、いずれ睡眠までも支配してしまい、SFのような話だが短時間で質の高い睡眠をとらせるなどして、睡眠時間の節約をしてしまう装置が開発される日も来るかもしれない。大袈裟な話かもしれないが、数多くの分野を開拓し、支配してきた人間という生物だけに、夢で終わらない話のような気がする。夢といえば、眠る時に見る夢、即ち主にレム睡眠時に多く見る夢は、実際には一晩に何十もの数を見ているという。起床時に覚えているものは最後の1個が普通であるそうだ。私も聞いたことがあるが、訓練で多少はこの個数を増やせるともいう。夢に関しても当然研究はなされているまだまだ未開の分野ではあるが、夢を操作や記録するような技術が完全に現実化するとしたら、文字通り夢のような話ではある。ただ、この謎に満ちた夢という現象を解明してしまうのは、夢を壊すような話かもしれないが。
 人間は自らも含めた生命の神秘に対し、様々な角度からアプローチし、次々にその正体を明かしてきた。生命時計と睡眠もその一面に過ぎず、しかしより深層の、いまだに謎の多い面でもある。脳や遺伝子について、まだ他よりも未解明の部分が多いとすれば、それは生命の神秘における最後の砦といえるかもしれない。それを今、何人もの研究者が崩さんとしている。様々な角度からのそれを、講義中にも多く見ることが出来た。私は残念ながらそれを見守ることしか出来ない。最後の砦は砦らしく、謎のままにしておくべきという意見もあるだろう。私もそう感じることはある。だが、誰もが探求心や好奇心だけで研究を進め砦を崩すわけではない。重要なのはその成果だ。研究の結果、それに関わる病も解明する。誰かが助かる。誰かが救われる。この本のテーマでいえば、生物時計を解明することはその弊害を乗りきることにも繋がる。睡眠を解明すれば、現代人が多く抱える睡眠障害の解決に役立つに違いない。遺伝子の分野では、助からなかった命まで助かる可能性も生まれてくるだろう。誰かが助かるのだ。それだけで十分ではないか。多様な価値観を持つ人間だけに、それゆえの障害も避けられない。確かに人間社会では重要な問題だ。だが私は思う。人の価値観や倫理観による戸惑いなど、人の命と天秤にかけるまでもない。時に多少のリスクが生じるかもしれないが、それは適材適所、そのリスクを超える見返りがあることも少なくはないだろう。当然、逆に批判すべき使われ方などもあるはずではあるが。私はたしかに見守ることしかできない。だが、容認するにも批判するにも、まず理解すべきだと肝に銘じておきたい。その上で、見守っていきたい。


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