優秀作品(1)

熊本大学・遺伝子実験施設・荒木正健
熊本市本荘2−2−1
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2000年 5月 2日更新


(5)『五体不満足』(工学部、1年)

 この本は全体として著者の今までの人生を記したような
もので、主旨は何かと考えれば、「障害者は不幸ではない」
という1つの意識がどの文からも感じられた。それでも考
えさせられることは沢山あった。
 まず、教育の観点から、問題を見てみると、障害者は必
ず養護学校へとの固定観念が強いということがあげられる。
確かに養護学校は障害者のための設備が整っている。障害
の度合い、症状により、養護学校でなければ教育を受けら
れないというような人にとっては養護学校は必ず必要とさ
れるが、赤ちゃんが言葉を覚えるのと同じく、小さいころ
から障害をもっている人は、そのハンデを乗りこえ、何変
わりない生活をすることを言葉のように体は学んできてい
る。そのような人も大勢いるはずである。それを「障害者
だから」と断る学校、「障害者だから」と迷惑と考える他
の保護者、「障害者だから」と自分の子どもをかわいそう
と考え同情する親のように、固定観念で頭の中を束縛され
た人の中に障害者が置かれると、結局は「障害者だから」
に落ち着いてしまうのは当然のことである。しかし、もし
自分が障害者だったら、もし、自分の子どもが障害者だっ
たらと考えたとき、だれが当然のことと言って済ませるだ
ろうか。全ての人が社会的固定観念をうらみ、現実の自分
の心が痛むのが分かるはずである。内申点について考えて
みると、障害者の人とそうでない人が体育を行う、2人と
も同じだけ頑張っても、頑張った分だけの結果を見える形
で出せるのは2人のうちどちらかは明白だろう。これは障
害者だけに限らない。いくらテストとは別のものといって
も、同じように授業に出ていれば、判断するには、点と結
果にすぎない。要するに、内申点についてはどうしようも
ないと言ってもいいような気がする。ただやはり問題なの
が入試で、内申点を使っていることで、入試試験の点数だ
けでなくなったとはいえ、結局内申点も点数としての評価
であること。そうなれば、障害者にとっては、平等とは言
えない試験になってしまいかねない。最近の入試傾向を考
えてみると、だいぶ改善されてきたように思われるが、そ
れでも、合格するためだけを考えている傾向は変わってい
ないのではないか。
 少し、障害に関しての話題から離れてしまったので、本
題に戻ろうと思う。障害を持つ子を持つ親が同情し、責任
を感じ、一生懸命「障害者」としての生活をサポートしよ
うとする。だれでもその状況に立たされたとき、障害者を
障害者として保護しようとしてしまうだろう。しかし、障
害を持つのが子どもの場合、まわりが、その子を「特別な
子」「弱い子」「かわいそうな子」として見たり、接した
りすると、子どもは必ず考えるであろう。「自分は障害を
持ったかわいそうな子なんだ」と。人によっては「障害が
あるのは不幸なんだな」と考えてしまう。果たしてそれで
いいのだろうか。子どもは一生、自分にコンプレックスを
持って生きていきはしないだろうか。大人になってから交
通事故で寝たきりになってしまうと、今までの健康な体と
の違いを痛感する。自分で今まで出来ていたものが出来な
くなると、立ち直りが遅いのもしかたないだろう。しかし、
大人と違い、生まれつき障害を持っている子(障害の度合
いによるかもしれない)は、健康な自分を知らないために、
親の子どもへの接し方が非常に重要になってくると考える。
そういう意味では著者の両親の接し方は、障害に対する倫
理的問題の解決のための「カギ」と言ってもいいのではな
いだろうか。
 本文の中に、「障害者は社会で守ってあげなければなら
ない弱者である」との一文があった。その一文に対して、
障害者をそのような立場へ追い込んでいるのは「環境」で
あるとの意見。考えてみると、生活の中で不便なのは確か
であり、町もまだほとんど障害者への対応が出来ていない。
1人で動きまわれない環境である。環境システムの土木系
に属する自分にとって、深く考えさせられたものが大きかっ
た。著者の言うとおり「環境さえ整っていれば、体の不自
由な障害者は障害者でなくなる」。障害者が環境に適応で
きないのでなく、環境の不備が障害者を生んでいる。福祉
の問題1つにしても、倫理面の問題だけでなく、工学的、
経済的、医学的・・・と様々な分野からの見解をふまえて、
解決へ向けて動かなければならないことが分かった。
 倫理的な問題に触れたので、ここで出生前診断について
も考えてみたい。専門家ではないので、詳しい事情までは
分からないが、障害者と分かったら中絶という流れは明ら
かに障害者を差別視することからくるもので、障害者とい
うレッテルをはられながらも一生懸命、人としての生活を
楽しみ、生きている著者のような人たちにとっては、自分
たちの人生を否定されるということにもなりかねない。し
かし、今の日本の場合、障害者として生まれてきた子ども
へのサポートや支援制度が整っているわけでもない。自分
は産みたくても、お金という経済的な限界も考えられ、現
状では、はっきりと体制を決めてしまうと、逆に反対が強
まる可能性もあり得る。国として何かを実行するのも大切
かもしれないが、それ以上に、「障害、障害」といって全
てをまとめあげることを絶対に避けなければならない。あ
くまでも障害は不幸ではない。障害者には障害者にだけで
きることもある。それを応援するだけでなく、障害者でな
い者は、障害者自身には出来ない、障害者のためにしてあ
げられることがあるはずである。それを考えることも必要
ではないだろうか。


*****1999年度・優秀作品*****
冬休みの課題レポート・1999
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