優秀作品(4)

熊本大学・遺伝子実験施設・荒木正健
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2001年 3月28日更新


『イエスの遺伝子』(文学部)


 ラストのナザレ遺伝子の扱われ方は、性善説を信じて疑わない楽天家の発想としか思えない。情報が世間におおれないという保証はどこにもない。そもそも人間(12人を選択したトム)の「善」への意識そのものが不安定なものだ。永久不変の「善」を見つけられない人間が「善なる者」を決めてしまうことは不安すぎる。(強いてかわらぬ「善」をあげるなら、キリストを筆頭とする死んでしまった哲学者たちであろうが…)しかもそういう中途半端な選民思想は、いつもあらゆる危険をはらんでいる。少なくとも、この13人のまわりの人々から救われていくことになる。そもそもトムはそのためにこれを開発したのだ。
 だが、ホリーをどうしても救いたかった父の行動は間違いだと決めつけることはできない。救う方法・知識はあり、しかもすぐ手が届くところにある。それなのに自分を止めることはできないだろう。トムとジャスの「先走って技術を使おうとする者」と「とりあえずそれを止めて冷静に考えようとする者」という立場は、ホリーが助かってトムが我に返ったとたんに一転している。トムが、見知らぬ他人がナザレ遺伝子を使うのを見る立場にあったら、とりあえずそれを止めたであろうことはそこから想像が付く。
 しかし、犯罪者であるマリアにホリーの救済を頼み、その代償にマリアの罪を軽減しようとまでされると、「娘を思う父のきもち」も目に余るものとなる。特定の能力(しかもかつてそれを使用して人々を助けた、という情状酌量ではなく、つかまってからそれを利用して助かろうとするような)のために刑法を逃れていいとは思えない。それこそ選民思想だ。
 そういう風に考えていくと、この遺伝子を(本文中で述べられる問題点をクリアして)平和に活用するにはどうしても不平等性が生じてくる。特定の知識・能力を後天的(マリアのぞく)に与えられた人間が多くの利益を享受するのだ。その人たちが利益のために行動しているかどうか、ということも人は生まれ持っての能力に差があるのだから、ということも理由にはならない。後天的に誰かが選民して与える能力なのだから。どちらにせよ、人類に何かを与えるからといって、不平等性は無視していいのだろうか。
 「不平等」以前の問題もある。「長寿は利益か」といことだ。トムのためにホリーの命を救うのは良いことでも、人類にとっては必ずしも良いことではない。しかもナザレ遺伝子によって、人々は600年も生きられるようになってしまうのだ。これは決していいことではない。それは日本の政治を見るとわかる。老人がいつまでもイスにしがみついて、いつまでも堂々めぐりしている。古いものがのさばっていては新しいものは生まれてこない。古いものがいなくなり、次のものが発言権を得るころ、新しいものはすでに新しいものではなくなっている。人類もそうだ。適当なところで新しいものにイスをゆずるべきだ。そうしなければ新しい文化も生まれず、おそろしく覇気のない世界となってしまうと思う。
 これから、「できるのにできない」ことはどんどんふえていくのだろう。「殺人」などもそうだと思う。憎い人を殺したくても殺せない。結局適当なところで見切りをつけて共存するか、憎いという人があまりに多いときは刑法で適当に理由をつけて殺してしまうことにした。ただ、「長生きするための遺伝子」問題に関して適当に見切りをつけようとすると、自分を殺すという選択をしなければならない。まだ生きられるけどその手段には頼らない…そういう考えを選択肢に入れることができるか、というのはこの後の人類と遺伝子治療問題にとって大きなポイントであると思う。


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