優秀作品(12)
熊本大学
生命資源研究・支援センター
バイオ情報分野
荒木 正健
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2007年 4月30日更新
『1リットルの涙 難病と闘い続ける少女亜也の日記』(医学部)
(1)この本を選んだ理由を書いて下さい。
最近ドラマにもなったことがあり、話題だったから。「脊髄小脳変性症」という病気は聞いたことがなかったので、どんな病気だろうと気になったから。
(2)この本で著者が一番伝えたい事は何だと思いますか?
この本は日記なので、著者(木籐亜也さん)が何かを伝えるという目的で書いたのではないと思いますが、一番強く感じたのは困難な状況でも前向きに生きることの苦しさ・大切さや健康であることは当たり前ではないということでした。
(3)この本を読んで感じた事、考えた事を書いて下さい。
私はこの日記の最後のあとがきに強い衝撃を受けました。
日記の著者である木藤亜也さんは小脳や運動神経が侵されていく一方で、頭の中はずっと冴えていたということです。自分ではたくさんのことを考えることができるのに、ゆっくりと動きを失っていく体・・・・・・。そんな自分を目の当たりにして、自分を自分と受け入れられなくなるのでしょうか。実際、亜也さんも「何のために生きているのかわからない」という疑問をずっと抱き続けていました。そんな亜也さんを見て本の中では、たくさんの人が“可哀想に”という言葉を亜也さんに向けてしまいましたが、それは適切な言葉なのかな、とふと考えました。以前「五体満足」という本を読んだところ“障害者にかわいそうという気持ちをもつことは差別だ。障害をもっていても人生を楽しんでいる。だから自分をかわいそうとは思われたくない”という内容がありました。この本の著書の乙武洋匡さんは体の障害を乗り越えて人生を楽しみ、目標を持つことができているので確かに“可哀想”という言葉は似合いません。しかし、亜也さんは治らなく、進行する病気でしかも将来の見通しは真っ暗。“可哀想”も変だとはいえません。確かに“可哀想”な状態なのです。しかし、私は、“可哀想”という言葉はどうしても、その言葉を言った人の間にすき間を作ってしまう気がします。病気で苦しんで必死に前向きになろうとしている(もしくは前向きでいないとやっていけない)とき、患者は誰かに「助けてほしい、共感してほしい」と願っているはずです。病気にかかわらず、ハンディキャップで苦しんでいる障害者にも同じことが言えると思います。だから、その周りで健康でいることがあたりまえのように生活している私達は、もっとその人に寄りそう気持ちを持っていくことが、大切なのではないかと思いました。社会でも「ノーマライゼーション」や「バリアフリー」な、みんなが一緒に生活していく考えが一般化してきていますが、人々が“障害者は可哀想だ”という目で障害者を見ている限り、障害者側としては健常者との差を感じずにいられないと思います。辛い状況にある人に共感する、という気持ちを忘れずにいたいと思いました。
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*****2006年度・優秀作品*****
冬休みの課題レポート・2006
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