優秀作品(16)
熊本大学
生命資源研究・支援センター
バイオ情報分野
荒木 正健
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2007年 5月20日更新
『1リットルの涙 難病と闘い続ける少女亜也の日記』(文学部)
(1)この本を選んだ理由を書いて下さい。
題名と表紙に魅かれた。“亜也”が私とそう変わらない年だったのも理由かもしれません。
(2)この本で著者が一番伝えたい事は何だと思いますか?
「生きる」ことがどんなに幸せで、健康であることがどんなに恵まれて、当たり前ではないか。“命”があることが、唯幸せであること。人は本当は“生きたい”こと。
(3)この本を読んで感じた事、考えた事を書いて下さい。
「感想文…気が重い…。」そんな気持ちで読み始めた本。「あとで書けないと困るから付箋付けとこう…。」普段、本とは縁のない私。もちろん読むのは遅いし、270Pが多く感じられた…が。
読み始めるやページを捲る手も、付箋の数も…涙も止まらなかった。
「病気はどうしてわたしを選んだのだろう。運命というのは言葉では、かたづけられないよう!」今まで優秀できて、それを拠り所にしてきた中、“病気”に未来を急に奪われて、その時亜也はどう思っただろう。多分日記に書き切れないくらい悩んで、嘆いて、悲しんだに違いない。
「東高」は多分16歳の亜也には唯一と言っていい程切ないプライドだったんだと思う。私も亜也程優秀でないにしろ、高校時代、「高校」にすがっていた。
それこそ、必死でした。亜也と同じ、「わたしから学ぶことを取ったら何も残らない」それなのに…もし「高校生の私」から「学校」を取ったら?
亜也は東高を去るのに「1リットルの涙が必要でした」そう言って、養護学校で「生きた」。でも、私なら? 16歳の亜也を読んだ時、私は即座に思いました。「私なら、絶対、耐えられない。きっと、間違いなく自殺する」
でも読み進めるうち、あることに気が付いた。そして、気付いた時、涙が溢れて仕方がなかった。「自分は何てなんて甘いんだろう」そう思った。
気付いてしまった。亜也はこの長い日記の中で「死にたい」と、ただの一度も言わなかった。そして、くり返す。「生きたい」
なんて純粋に「生きる」ことを想ってるんだろう。亜也は誰よりも純粋に、ただ、「生きる」ことを願っていた。ただ、「生きる」ことへの執着をまざまざ見せつけられて、涙が止まらなかった。本能だろうか、死ぬことが恐いから?どれも亜也の答えではない気がした。私からは想像もつかないような大きな力が亜也を引き止めているような。もっと、無意識で純粋で焦がれるような“生”への渇望。私が「如何にでもなればいい。」そう思っていた明日を何気なく生きた今日を、亜也はどんなにか欲しかったのだろう。
文中、16歳の亜也は言った「喫茶店で、レモンスカッシュが飲みたい」本当にささやかな願い。そして20歳になった亜也が“おばあちゃん”からレモンスカッシュを飲ませてもらう。「一生行けない所だとあきらめていただけに、嬉しかった」こんなささやかな願いを、亜也は4年間も思いつづけていたのか!! 自分が恥ずかしい。たった一口のささやかすぎる程の願いが叶ったと喜ぶ亜也と、1つ叶ってもまだ1つと感謝を知らない私。私は今までたった1口のジュースの幸せを感じたことがあっただろうか?
起こった「幸せ」事象は同じ。でも、とらえ方がちがうだけでこんなに違う私と亜也…もっと、もっと“私”は“当たり前”ではないことを、どこかに心に留めて生きていこうと思う。
「何のために生きているの?」そう亜也は言ったけど、亜也が「生きていた」ことで私は「生きる」ことを考えた。「健康」を思って、「障害」を思った。今まで私の日常からどこか遠い所のあったこれらの言葉。「養護学校はあっても、『養護社会』は無い」この言葉、「障害」への感覚がガラッと変わった。他のだれかのために何かをしたい。漠然と、そう思った。初めての感覚だった。
亜也が生きて、日記を書いたこと。それを読めたこと、気持ちが変わったこと。これが亜也の「生きた意味」とは言わないけれど、気付かせてくれた、そのことに、心からの、感謝を。ありがとう、亜也。
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