2006年度 教養科目
I 自然と情報 最前線の生命科学C
−−夢の技術PCR−−
熊本大学
生命資源研究・支援センター
バイオ情報分野
荒木 正健
熊本市本荘2−2−1
Tel : (096) 373-6501, FAX : (096)373-6502
2007年6月8日
[回答集]
<問3について>
(問3)「胎芽バンク」というシステムの紹介です。この記事では顧客にドナーの情報を提供するということですが、技術的には4細胞期胚または8細胞期胚からひとつの割球を採取し、その遺伝情報を調べてカタログ化する事も可能だと思います。もちろん、コストとリスクは高くなりますが。ニュースCを読んで感じた事、考えた事を書いて下さい。
・不妊に悩む夫婦にとってはうれしい知らせだとは思うが、このシステムは明らかに危険だと思う。自分が望むような組み合わせで子どもを産むことができることは、産み分けのようだし、設問の技術はまるで人身売買を行っているように感じる。さらに出生後も成長しだいでは差別につながる可能性も大きいと思う。(教育学部)
・カップルの双方に原因があって子供が生めなくても、単に子供が欲しいだけならば養子という手がある。受精卵を提供してもらって子を産んでも、どちらとも血はつながっていないのだから養子をもらうのと大した差はないと思う。そのため、受精卵の商品化は子供の選別を行うだけでしかないと思う。(工学部)
・私は「胎芽バンク」というもの自体を認めてはいけない行為だと思います。遺伝情報をカタログ化して販売するというのはもはや命を商品化することと同じだと思います。しかもそうやって親の優勝になる。理想とする子供になるであろうという期待が子供にプレッシャーを与えることになりはしないでしょうか。それに子供が理想どおりにいかなかったとき、親はその子を捨ててしまったり虐待したりすることもなくないと思います。子供が欲しい人を助けようとしているだけ、としてその他の問題を省みずに実行に移すのは間違っていると思いました。(教育学部)
・「有り得ない」これが私の率直な意見です。父も母も別、なんて出来れば子供は何だって良いのでしょうか?“産む”という実感が欲しいだけなら酷い言い方ですが産むまでの幻覚でも見せて養子を育てていった方が、よほど良いと思います。何故なら、子供を選びすぎだと思うからです。私が何より危惧するのは“理解が先に立つこと”。子供の、例えば性格を“注文”した両親なら、その子の本当の性格を考える、あるいは見つめる前に「この子はこういう子だわ」と決めつけたりしないだろうか?そんな親子は(感情的な意見だが)寂しい、と思う。互いに相手のことが不確かだからこそ、相手を知ろうとするし、自分も知ってもらおうとする。もし両親に「わかっているわ、あなたはこういう子でしょう?」なんて、”私“を知る前に言われてしまったら、私は寂しい。(文学部)
・確かに、ここで一番問題なるのは自分達で好みの遺伝子を選べるということだ。それは確実に良い子ども、理想の子どもを追い求めることになる。そうなると、たとえ不妊症ではなくても優秀な子どもを産むために胎芽バンクを利用する者も出てくるだろう。ここで怖いのはその子が自分の思い通りにならなかった時だ。体色や体の各部が自分の理想と違う、期待していた能力が現れない。といったことで虐待につながってしまうことは充分に予測できる。かといって、無差別に受精卵を作り、それをもらうのでは産後の社会的な問題も考えられる。閉鎖的な共同体の中で大きく身体的特徴が異なると、それは容易に差別へとつながる。そのような差別自体が元々間違っているのだが、実際問題として存在する。だから、提供者の写真のみから選ぶのが妥当な方法だと思う。(薬学部)
・この「胎児バンク」というシステムは、たしかに子どもを産めないカップルの助けになるかもしれない。しかし、精子バンクなどと違って売買するのがすでに一つの精子と一つの卵子が結びついた受精卵であるところに問題があると思う。ニュースCにもあるように、静止も卵子も両方ともを顧客がえらぶことができる。親が子どもに対して優秀であってほしいと思う心は当たり前だと思う。だからこそ優秀な精子と優秀な卵子を選別するという事態はまぬがれないだろう。しかももしカタログ化されれば、子どもの選別は一層激しくなると思う。子が親を選べないように親も本来は子を選ぶことはできないのだ。また、話は飛躍するが、より優秀な受精卵の売買をめぐって、裏取引や関連する犯罪が増えないとも限らない。精子も卵子も売買されている現状があるのだから、胎芽バンクの全てがだめだとは言えない。しかし、受精することは新たな命が宿るということなので、うかつに商品化すべきでないと思う。(教育学部)
・私はこれには反対だ。読んでいると、「どうしてもしなければならない」という納得のいく理由がないと感じたからだ。不妊に悩むカップルも、“自分達の子供”を“商品化された子供”というようなシステムで受け入れるのは好ましくないだろう。ただ、自分達の精子や卵子でなくても自分達の子供として育てるということは、慎重になる気持ちも分からなくない。ただ、元々の受精卵だけではなくて、育つ環境やしつけなどにも子供の姿や性格などは左右されるのでどちらかというとそっちを大切に考えてほしいと思う。人の価値を決める基準を間違えて進めていくと、どんなにすばらしい科学技術もゆがんだものになってしまうと思う。期待されすぎて生まれた子供のプレッシャーというものも大人だけでなく、子供の立場での倫理的な問題として考えていかなければならないと感じた。(教育学部)
・このような「胎児バンク」というシステムを利用している客がどのような人たちなのかを知りたいと思いました。例えば本当に子供がほしいのに、夫婦共に不妊であり、子供が産めない人であれば、どのような子供でも大事にすると思いますが、ただ、単に優秀な子供がほしいなどという考えから、このシステムを使う人には使ってほしくないと思います。そのためにもこのシステムを行っているアブラハム生命センターは事前に希望する夫婦の調査を徹底して行うべきだと思いました。(工学部)
・人類の生命はほんとに貴重なものであり、そのように販売などできるものではないと思う。もしも、ドナーが提供している受精卵が契約打ち切りなどにより、誰も受け取る人がいなくなったときにその受精卵はどうするのかという問題が生じてくる。受精卵もれっきとした命であるのでそのようなものを簡単に捨てたりするのだろうか。それを考えるとかなり疑問が残る。さらに提供者の人種、教育、性格などで、顧客が買い取るのを避けた場合差別問題が起きたり、また、その様なたくさんの個人情報を扱って本当に大丈夫なのだろうかと思う。そうやって考えると僕は賛成できない。(教育学部)
・胎児を販売するということには驚きました。全く子供が産めないカップルにとってはとてもいいことだと思います。しかし、精子とかもそうですが受精卵というのはそもそも商品というものに値するのかが問題だと思います。その受精卵を使ってこどもが生まれたとしたら結局子供をお金で買っていることにはならないのかと思います。まず、子供の売買というのは絶対にありえないと思います。そう考えるとこの「胎児バンク」という考え方もおかしいと思います。受精卵に値段をつけるということはそこから生まれてくる子供に値段がついてくることになると僕は思います。(工学部)
・「精子バンク」も「卵子バンク」も「胎芽バンク」全て基本的には反対だ。記事にも書いてあったことだが、自分の好み通りの赤ん坊を作ることになりかねないし、必ずしも思い通りの子供に育つとは言いきれない。ただ、好みなど一切考えず、本当に子供が欲しい人の為には、これらの手段を使用しても良いと思う。精子バンク、卵子バンク、そして胎芽バンクについて、もう一度誰のため、何のために存在するのか考え直した方がよい。(文学部)
・信じられない。これは完全に生命の商品化である。かっての人間も誰もがこうなることを恐れてたであろう実態が自分の世代で実現されている事を知って憤りを感じた。ニュースCをよめば人種や教育、性格も含めた特徴しかも成長過程までも検討され、それを見て選ぶとある「選ぶ」?何を?生命をである。たとえば技術が発達しようとそれはふみこんではいけない領域ではないか。このバンク「子供が欲しいを助けようとしただけ」とあるが完全に親目線ではないか。生まれてくる子供はオモチャか。そんなはずはないと断定できる事実を大人はねじふせている。このような事が通る世の中だから子供は親の理想象になろうともがき苦しみ、親はそれを当然のように望む。結果、子供は命を断つのだ。技術を駆使して人類の存続を保つためなら倫理も何もくそくらえなのか。もし、それがこの世界で通るイデオロギーなんだったら人類なんて滅んでしまえ。(文学部)
・私は受精卵の商品化だけはやってはならないことだと考える。なぜなら、これこそ生命の差別になるからである。確かに優れた人が世の中に増えれば世界は発展するかもしれないが、人それぞれ何かが足りないからこそ助け合って生きているのである。しかも、生まれてくる子を選別するということは神のみぞ知ることであり、人間が決められることではないはずである。人間はあまりに勝手でごうまんになっていると思う。倫理的に非常に問題ありだと私は思う。(文学部)
この記事を読んで正直私は嫌いでした。受精卵を販売するということは命が売り買いされているように感じてしまうからです。子供が産めないカップルを助けるためというのは素晴らしい考えですが、受精卵を売り買いするのには納得がいきません。他に何か方法はなかったのでしょうか?商品化された受精卵と思いうかべると少し恐い感じがします。できれば、倫理上の観点から止めた方が良いと考えます。でないと、遺伝情報が気に入らないままの受精卵はどうなってしまうのでしょうか?人に良い・悪いをつけているのと同じことだと思います。(教育学部)
・受精卵を売買することは倫理上問題であるということもあると思いますが、私はそのことよりも生まれてくる赤ちゃんのことを考えてあげるべきだと思います。ニュースCにあるように自分の好み通りの赤ちゃんを生もうとしても、環境の影響を受け、予想していたのとは少し違う赤ちゃんが生まれてきた場合に、両親が赤ちゃんへの愛情を失ってしまうということが考えられます。受精卵の売買よりも私はこの問題の方が大きいと思います。(工学部)
人は生命を商品とするなんて、はっきり言ってバカげていると思う。「子どもが欲しい人を助けたいだけ」なんて自慢しているところが特に腹が立つ。カタログから選んで買うなんて方法は生まれてくる子どもの価値を決めることになるのではないか。自分の子どもを優秀な子にしたいから頭のいい人同士の受精卵を選ぼうなんていうバカな親も出てくるだろうから絶対にこのようなシステムは作ってはいけない。(教育学部)
・私は子どもとは、存在そのものが愛されるべき存在であると考える。このような技術で選別されて作られた子どもは本当に愛されるだろうか。結果を残すことでしか愛されない子どもになるのではないだろうか。以上のことから、このような技術は使ってはいけないと私は思う。(教育学部)
・いかにもアメリカらしいニュースだと思った。自分は精子バンクの話を聞いた時にも、あまりいい事だとは思わなかったが、今回の話では、一歩人身売買に近づいたと思う。遺伝子的には自分の子供となる精子や卵子を売ることと自分の子供を売ることに大きな違いはないと思う。(工学部)
・確かに不妊に悩む夫婦には朗報かもしれないが、やはり倫理的におかしいと私は思う。料金は受精卵1つ当たり2500ドルとしているが、より優秀な提供者による受精卵はそれより高値がつきかねない。もしかしたら、オークションなどにまで発展するかもしれない。たとえその時点では、生命とは認めていなくても、人の命の基となる受精卵に値段をつけるのはダメだと思う。また、ロバート・ジョージ氏が言うように、この「受精卵バンク」が浸透すると世に有能で優秀な子供たちが大勢出てくるかもしれないが、それに伴い普通に出産された子供たちとの能力の差異が明確になり、最終的には企業の面接においての判断基準になりかねない。「能力的に優れた者が未来を勝ち取れる」ような強者の論理が広がってはならないと思うので、この考えはおかしいと思う。(教育学部)
・胎児バンクには反対です。理由は、子供の特徴を選択することができるからです。頭のいい子・運動のできる子・かっこいい子などを欲しがる夫婦は必ずいると思います。しかし、その願いがかなうとなると、子供は「神様が与えてくれるもの」というより「自分達で選ぶもの」となっています。それは、生命の倫理を明らかにおかしています。様々な人々がいる中でこのようなサービスが流行ってしまうと、有能な人・無能な人など、各国々での科学技術の進み具合により、格差が生じ、差別や人種間での戦争も起こりかねません。(話が大きくなり過ぎましたが…)カタログ化するということは、もはや赤ちゃんを人としてではなく、製品としてしか見ていません。私はこのような生命の神秘をけがすようなサービスには反対です。(薬学部)
・子どもが産めないカップルにとっては夢のような話であるが、僕が心配なのは「受精卵を選べる」ということである。自分の子をよりいい子に。たいていの親がそう考えるのは普通であるが、これでは産まれてくる前にすでにいい子になりそうなものを選ぶことになるのではないだろうか。カタログ化することは決して許してはいけないと思う。不妊のカップルが子どもが欲しいというのなら、1つだけきちんと認められた受精卵を与えればよい。それが嫌であるならやらなければよい。人間はものではない。(教育学部)
・遺伝情報をカタログ化することは危険なことです。この記事で問題点は二つあります。まず、1つは受精卵を商品と売る側です。生命を一体何だと思っているのか理解できません。人の命には値段はなく、つけるものではありません。これではまさに命が売買されているようなものなので、その部分に反対です。そしてもう1つは買う側です。やはり親は特性的に良い遺伝子を選ぶでしょう。そうするとニュース記事にも書いてあるとおり、優生学に導くことになります。子供は親が選ぶものではなく子供自身で自由に成長しなくてはならないという基本理念に反することに関しても反対です。(薬学部)
・現代の医学もとうとうここまで来たか、というのが正直な感想である。しかも、それを商売にしてしまうところが人間の欲深さであると感じた。それに自分好みの赤ちゃんを作ろうなんていうのは、人間の欲の最たるものではないかと思う。倫理的にも問題だらけのこの「商売」は絶対に取り締まるべきだと思う。(教育学部)
・これはリスクが高すぎると思う。ニュースにも書いてあるように、このシステムでは、自分の好み通りの子どもを簡単に作り上げることができてしまう。また、受精卵に優劣をつけることも、どうかなあと感じる。このシステムは子どもを商品、道具として扱っているような気がする。倫理的に考えて、私は絶対に反対である。(教育学部)
・受精卵が商品化されるということは命が商品化されるということであり、私は反対です。子どもが欲しいなら養子をとればいいのです。そもそも、人は遺伝子だけで育つのではなく、育つ環境によって遺伝子とは全く逆の育ち方をする可能性だって多いにあるのだから、最初から「この子はこんな遺伝子を持っているからこんなふうに育つ」などと期待するのはおかしいと思います。その子どもが成長していく過程で、子どもは「自分はこんなふうに振舞わなきゃいけないんだ」と息苦しく感じてしまう可能性だってあります。人の命を簡単に商品化するようになってきたことを感じましたが、そのような技術よりも先に倫理を考えていく社会になればいいなと思います。(医学部)
・「精子バンク」や「卵子バンク」の存在は授業でも聞いたが、まさか受精卵まで商品化されているとは思わなかった。しかし、当然と言えば当然の流れのような気もする。ニュースでは不妊治療の一環のように説明してあるが、必ず優れた性質や親が望む性質を持った受精卵を求めるようになる。精子や卵子のドナーの情報を公開することはより一層それを促してしまうだけだ。親だったら才能ある子を欲しいと思うのは自然なのかもしれないが、私は子どもそのものが大切だと思う。その子の性質や容姿がかわいいのではなく、自分の子供そのものがかわいいと感じると思う。すべての人がこのカタログをそういう風に使うとは思わないが、少数でも現れたら、もしそれが一般化されてしまったら、生命がすごく軽いものになってしまう気がする。もっと生命を大切に思えるような技術、ニュースが増えていってほしいものだ。(文学部)
・子供を産むことができない人達にとってはとても嬉しいことだと思う。それに受精卵の状態で保存してあるので「命の選別」という問題もない。ただし、販売サービスということになると、様々なタイプの受精卵があるだろうし、客という立場上選ぶ権利がある。必然的にドナーを選別することになる。何らかの優劣であったり、人種などで選別することにもなるだろう。子供が産めないとはいえ、それはいきすぎかなと思う。いっそドナーの情報は一切公開しないで、それでも産みたいなら販売しますといった形の方がいいのではないかと思う。それがだめなら養子をとるべきだと思う。(文学部)
・子供が欲しいという気持ちは分かる。できれば少しでも血のつながった子どもが欲しいと体外受精を考えるのも分かる。しかし、私は胎芽バンクというものについては理解できない。全くの他人の精子と卵子から生まれてくる子どもでも欲しいというのなら、孤児院にいるような子どもを引き取るほうが有益だと思う。何が違うかといえば、胎芽バンクでは提供者に関する情報を見て、どの胎芽にするか、生まれてくる子どもをどのように育てたいのかを「選ぶ」ことができるという点である。自分たちの望み通りの子どもを作ろうとすることはとても危険だと思う。どのような子どもでもその子どもを愛せるのが、親の心に対する愛だと思う。自分の好み通りの子どもしか欲しくないというのは子どもではなくペットを選んでいるように見える。だから、私は「胎芽バンク」には反対だ。(文学部)
・「胎芽バンク」これは完全にいきすぎだと思います。もう明らかに他人の子だし、カタログ化すると精子や卵子の持ち主の経歴などを見比べ「どの胎芽がいいかな?」とか、「こっちのが良くない?」などという会話が生まれるのは人として逸脱しているんではないかと思います。これはもう昔、奴隷を売買していたのと同じレベルの発想じゃないかとも思います。子供が欲しいけど産むことができない夫婦も胎芽バンクではなく、孤児院(の様な所)等から、「子供が欲しいからどの子か引き取りたい」という方に考えがいかないのかな?と思いました。こっちの方がかなりいいと思いますが…(工学部)
・私は、このシステムに全面的に反対です。これは、遺伝子工学や医学で最もおそれるべき方向へ向かうきっかけになりかねません。優れた子供のためになら、お金など惜しまない。息子が欲しいから、女の子なら産まない母親が美形だからその遺伝子を受け継いでないと産まない。その様な子供を「産む」のではなく「作り出す」という感覚の社会になりかねないと考えます。しかしながら、私が、救いに思っているのはこのシステムを始めた時点で、世界にハンキョウを呼びまた警告を発するような社会であったということです。この考えが残っている限り、まだ危ぶむべき状態にはなっていないのではないかと感じています。(理学部)
・ヒトの命を売っているという印象を受けました。それにドナーの組み合わせが同じであったら遺伝子には兄弟となってしまうだろうし、なんとなく自分には賛成できません。(薬学部)
確かにこのサービスは画期的で良いとは思いますが、ドナーの情報を与えすぎる気もします。情報は先生のおしゃるようにせいぜい人種、髪や瞳の色等をカタログにしたもので良いと思います。また、この集められた受精卵が研究者やブローカー等に横流しされたりしないような体制をきっちりとって欲しいです。(工学部)
・私は受精卵を商品化するのというは、それはすでに人身販売になるように思いました。今までの「精子バンク」や「卵子バンク」で不妊治療としてなら十分だと思うし、記事にもあるように優生学の助長にもつながると思います。また、観客が提供者の様々な情報を見ることができるので、プライバシーや情報管理の問題もあると思います。ここまでする必要があるのかをもっとよく考えるべき問題だろうと思いました。(薬学部)
・この議論についても私は反対です。確かに不妊カップルにとっては望ましい技術であるかもしれないが、卵子、精子の提供者の学歴、容姿などを確認して受精卵を選ぶという行為は、文末にもあるように、自分が求める子供を産むことにつながり、モラルに反すると思う。また産まれた子供もそういった過程で産まれたことを知ったとすると、本当に嫌な思いをすると思う。もっと子供のことを考えて技術を利用して欲しいと私は考える。(教育学部)
・優生学は第二次大学のナチス・ドイツの行いからか、欧米では避けられている様だが、産まれて来る子供側にしてみればより良い遺伝的要素を持っていることはマイナスには働かないだろう。ただし、胎芽バンクでは両親の遺伝子を一切持っていない子が産まれて来るため、両親が“種の保存本態”的に見て満足するかは疑問である。老後の心配は減るだろうが、それなら養子をもらった方が母親への負担から考えても、効率が良いのではないだろうか。全世界的に見れば人口は増加しているのだし、そこまでして子供を産む必要は無いと考える。(工学部)
・IQが高いことや博士等の精子がもし本当に優秀な遺伝子を持っているのだろうか?気持ちは分からないでもないのであるが、それは産んでみないと分からないんじゃないだろうか?また、IQが高いことや博士等が「善」であると考えているようだが、IQが高い「連続殺人犯」も多く存在する。追跡調査されれば分かると思うが、おそらく普通だと思う。そうなったことで「せっかく高い金払ってあなたを選んだのに!」と母親が怒ったところで子供の方はポカーンとするに違いない。そうならなかったにしても責任というものは子育てにはつきものだ。その点をも含めて考えないと今度は簡単に捨てるかもしれない。とまで考えてしまった。(教育学部)
・とうとう出たか、という感じです。しかし、受精卵の精子、卵子の提供者の情報をこんなに細かにおしえていいのだろうか。提供者達はそれを承知で提供しているのだからいいのかもしれないけど、逆に、その受精卵を選んだ夫婦について、子供が生まれて育っていく間に、自分が思い描いた子供像と実際育った子供とのギャップが出てきて、苦情とか来たりしないのだろうか。とか考えてしまいました。実際、頭の良し悪しなどは遺伝だけではないのだから、その苦情はまとはずれなのだけれど、そういった自分が思い描いた子供像とかけ離れた子供が生まれたときに、その受精卵を選んだ夫婦は、その子供を愛することができるのだろうか。それが原因で虐待などするようなら、大きな社会問題となるだろう。この受精卵の商品化というのは、あまり、いいことではないと思う。(薬学部)
・私は「胎児バンク」にはあまり賛成できません。なぜなら胎芽はもう受精しており、そのようなものをお金で売買するべきではないと思います。また、この方法で優秀な人が増えてきたら、その人達への差別などの社会問題も起きると思います。(工学部)
・他人の受精卵を1万ドルも出して買いたいという気持ちは私には到底理解できない。しかし、IQの高い人同士の組み合わせなど優秀なDNAを持った子はどんな子なのか見てみたい。良くないかもしれないが、個人的にはそういう商売もありだと思う。(工学部)
・例えば法律などは、胎児はあくまで胎児であり、「人間」ではないと言うように、「人間の始まり」については議論があるが、やはり、人間の成長を一連の流れとしている限り、受精の時点で、生命が誕生したと捉えるのが妥当であろう。つまり、受精卵の売買は、すなわち人の命の商品化であり、胎芽バンクのごとくは現代の人身売買集団に他ならない。「理想の受精卵」を選ぶなどと言う行為は育児をペット飼育の延長とするあまりの「命」に鈍感な態度であり、許されるべきものではない。「理想の受精卵(=子供)」であるからこそ愛情を持てると構える向きもあろうが、そもそも親の愛情とは無条件のものであるからこそ美しく、子供として幸福と安心を感じさせるのである。このような動きを認めることは、親が子供を「所有する」時代への一歩でしかない。(法学部)
・子供をカタログで選ぶ時代が来たかと思うと寒気がする。以前講義の中でも発言したが、純粋に子供が欲しいのであれば、孤児院などから引き取れば良いのだ。そこに様々な条件などを加えていくということは、その望みが切実なものではなく、エゴを満たすものでしかないという気がする。しかし、私の意見がどうであれ、このシステムも将来的には認可され、拡大していくように思える。そうやって産まれた子達が人間社会に潜む悪意にさらされて精神的に深い傷を負わないかどうかも懸念される。(教育学部)
・「胎芽バンク」というシステムの存在を知り、ビジネスがここまで入り込んでいるんだと一番に感じました。これも不妊で悩んでいる夫婦限定で行なわれていることを信じたいですが、人間ですからそうは行かないでしょう。より優秀な子供が欲しいという願望の最終的な到達点だとも思います。不妊症で真剣に悩んでいる夫婦には失礼かもしれませんが、カタログを見ながら、子どもを売買するという行為に賛同は出来ません。(工学部)
・お金の問題は別として、胎芽バンクには反対だ。子供が産めないカップルに受精卵を提供するという点ではいいと思うが、その受精卵を提供した人がどんな人達なのか調べ、そしてどんな子供が産まれるのか計算している所が良くない。確かにスポーツ万能で頭の良い子供が生まれてきたら嬉しいかもしれないが、それを意図的に行なうには反対だ。産まれてくる子供は両親の目的のために産まれるのか?両親は何のために子供を産むのか?悲しくなる記事であった。(教育学部)
・一言で言ってしまえばこれは「生命の売買」を許していることになると思う。受精卵というのはすでに生命を持ったものであると考える以上、それを商品化してしまうことは、作為的に売買しているとしか言いようがない。終末にも記述してあったが、自分の好みの赤ちゃんを作ってしまうという危険性が出てくる。何が危ないのかというと、これによって社会での個人の優劣がたやすく格付けされてしまう恐れがあるのである。遺伝情報のカタログ化というのも、更に良いもの更に良いものという欲求にかられてしまって、商品の争奪戦という事態が想定されてしまう。もはやこれは生命倫理も何もない世界になりかねないのではないかと思う。(教育学部)
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